◆過去の経緯と基本方針改定/国が候補地絞り込み

 

 高レベル放射性廃棄物の最終処分事業は、これまで原子力政策の最大の課題だった。処分地選定プロセスは国の基本方針に沿い、原子力発電環境整備機構(NUMO)が全国の自治体から公募して処分場建設地を探すアプローチが取られてきたが、過去に応募があったのは2007年の高知県東洋町のみ。同町も応募して間もなく、町長選を経て取り下げた。なかなか進展しない状況を打開しようと、政府は15年に最終処分に関する基本方針を改定。国が調査対象となりうる自治体に申し入れる方式へと転換するなど、処分地選定アプローチを抜本的に見直した。

 

 最終処分事業は2000年6月に施行された「特定放射性廃棄物の最終処分に関する法律」(最終処分法)に基づき行われている。実施主体として同年、NUMOが設立されるとともに、基本方針と最終処分計画が閣議決定された。最終処分法では、(1)自然災害の履歴などを調べる文献調査(2)ボーリングなどで地質構造を確かめる概要調査(3)実際の地下施設で試験を行う精密調査――という3段階の調査を定めている。

 

 当時の計画では、処分場の操業時期を「平成40年代後半」と設定。それに先立つ精密調査地区選定時期を「平成20年代前半」、建設地の選定時期を「平成30年代後半」としていた。文献調査には約2年、概要調査には約4年、精密調査には約14年と、計20年程度の調査期間を想定している。

 

 そうしたスケジュール感を持ってNUMOは02年から公募を開始。しかし、文献調査にすら応じる自治体はなかなか現れず、足掛かりがつかめなかった。地元で誘致の動きが報じられたとたん、反対運動に会い頓挫するケースが相次いだことも大きい。

 

 そうした中、事態が大きく動いたのは07年。東洋町の田嶋裕起町長(当時)が同年1月、文献調査への応募を表明した。長い処分地選定プロセスの初期段階ではあるものの、初の“立候補”が出たことで、事業が前進するかに見えた。

 

 だが、町長の方針に町論は二分。高知県知事も反対の立場を鮮明にした。田嶋町長は町長選に打って出るが、応募に反対していた候補に敗北。結局、NUMOへの応募は取り下げられた。基礎自治体という小さな行政単位の首長に重い決断を求める公募方式の難しさが浮き彫りになった。東洋町に続く動きはなく、精密調査地区の選定時期として描いていた「平成20年代前半」は過ぎた。東日本大震災前に想定したスケジュール感は「実質的に白紙に近い」(経済産業省)。

 

 政府は停滞状況を打破しようと、15年5月に最終処分法に基づく基本方針を改定した。公募方式だけでなく、国が候補地を絞り込んで自治体に申し入れる方法を取り入れることが柱だ。NUMOも全国各地での住民向け説明会を強化した。

 

 調査への協力を要請するに当たっては、合意形成に向けた地域レベルでの自発的な動きも重要になる。それに役立ててもらうために作成・公表されたのが、今回の「科学的特性マップ」である。