萩生田 光一氏

 ロシアのウクライナ侵攻を端緒として、エネルギー安全保障に対する関心があらためて高まっている。脱炭素と自由化に向き合ってきた日本のエネルギー業界も、世界的なうねりの中で重要な岐路を迎える。新シリーズ「岐路に立つ電力ビジネス」の第1部では、日本がエネ安全保障と本格的に向き合う契機となった1973年の第1次石油危機から半世紀の節目に際し、各界の有識者に日本のエネルギーの現在地と将来展望を聞いた。

 <萩生田氏は2021年10月から22年8月の間、経済産業相を務めた。在任中の22年2月にはロシアがウクライナを侵攻。エネルギー市場の混乱ぶりは「オイルショック以来の危機」とも形容された。この危機について、化石燃料の供給制約だけではない複雑な要因が絡み合っていると語る。>

 第1次石油危機は、石油輸出国機構(OPEC)が原油の供給制限と輸出価格を大幅に引き上げたことで、国際原油価格が急上昇した。今回の危機も、ウクライナ侵攻を契機に、ロシアが欧州への天然ガス供給を制限して国際エネルギー市場の価格が高騰した。いずれも化石燃料の供給制約がきっかけだ。一方、足元の危機を招いた要因は供給制約だけではない。世界の脱炭素化が進む中で、化石燃料に対する投資不足、国際的な地政学リスクの上昇、サプライチェーンの分断、コロナ危機からの需要回復など複数の要因が重なっている。ここが50年前とは違う。

 我が国にとり安定的で安価なエネルギー供給の確保が、最も重要な課題だ。経産相在任中は、強い覚悟でエネルギー政策に取り組んだ。危機を受け、G7(先進7カ国)の理解を得てサハリンのLNG、石油権益を維持したほか、22年4月には国際エネルギー機関(IEA)と協調して、1978年の石油国家備蓄制度創設以降、初めて備蓄を放出した。また、ウクライナ侵攻以前に開始した燃料油の激変緩和制度などで、国民生活や経済活動への影響を最小化でき、50年前のような大きな混乱は生じなかったと思う。

 <危機まっただ中の22年8月8日、経産相だった萩生田氏は、内閣改造での自身の交代報道を受け「継続してやっていくことが望ましい」と発言して周囲を驚かせた。心残りは原子力だったと明かす。数日前の7月27日、岸田文雄首相がGX実行会議で「政治の決断が求められる項目を明確に示してほしい」と指示したばかり。その直後の経産相交代だった。>

 再稼働など原子力政策を進めるため、経産相を辞めたくないと発言した。誰かが批判を浴びてでも、やるべきとの思いが強かった。まさにこれからだと思った。岸田首相にも伝えたが「政調会長になって原子力を応援してくれないか」との回答だった。せっかく始まった原子力の議論が、途中で頓挫するのではと疑っていたところがある。だからこそ自分が経産相を続け、最後までやり遂げる思いだったが、見事に原子力政策を転換した岸田首相は立派だ。疑った私が悪かった。

 50年前と決定的に違うのは、原子力発電所が増えたことだ。震災後の12年間、メーカーを含めた電力関係者は努力し、世界最高レベルの安全性を保つ仕組みが構築された。経産相だった約1年間で、いかに日本が海外の資源に依存しているか痛感した。国民の信頼を回復して、何とか再稼働を急ぎ、自前の電気を確保することで目下の危機を突破したい。

 <経産相在任中、自身が記者会見して電力需要を下げた22年3月に加えて、6月の電力需給逼迫を経験。また、今回の危機では新電力の相次ぐ撤退も目の当たりにし、電気事業の在り方を提言する。>

 庇護(ひご)は良くないが、電気事業は競争論理を当てはめるのが厳しい業種だと、経産相を約1年やって感じた。新電力の一部で見られたが、連絡がとれない事業者がインフラ業界に参入して良いのか。参入するのは結構だが、ずっと続ける覚悟を持って入ってほしい。もうかりそうだからでは困る。覚悟のない事業者が増えると危険だ。

 ◇取材を終えて/再稼働加速は「処方箋」

 萩生田氏は、オイルショック以来の危機に経産相として直面し、エネルギー安定供給の難しさを肌身で感じた。その上でにじませたのが、脱炭素にも資する原子力発電の重要性だ。エネ危機を克服する処方箋は、再稼働加速だと説く。与党の政策責任者として、次の一手に注目したい。(聞き手・構成=近藤圭一)

電気新聞2023年11月15日