分水池の弁が故障し、24時間体制で手動による開閉操作を行った
分水池の弁が故障し、24時間体制で手動による開閉操作を行った

 

発電所と女川町の生活用水用設備に被害。復旧へ24時間体制で

 
 東北電力が女川原子力発電所の安定化と避難者の受け入れ対応という、2つの緊急事態に直面する中、発電所の外では“もう一つの闘い”が繰り広げられていた。所内用水を導く埋設管が地震の影響で損傷し、その復旧が急務になったのだ。対応を迫られたのは、グループ企業の東北発電工業だった。

PICKH20200309_A1001000100100003 所内用水は約37キロメートル離れた北上川から取水。埋設管を通って発電所に供給され、構内で浄水した上で生活用水などになる。これら所内用水に関わる設備の保守管理を東北発電工業が受託していた。

 2011年3月11日、女川支社土木建築課の渡邊克也(現・女川支社工事部土木建築課グループリーダー)は石巻市の内陸部にいた。同年1月に始まった埋設管移設工事の現場だ。

 午前の仕事が一段落し、工事事務所でコーヒーを入れた。一息つこうとした時だった。立っていられない激しい揺れに襲われた。机に置いたコーヒーカップは転倒した。外に出てみると、一帯に広がる田園が波を打っているような異様な光景が目に飛び込んだ。
 
 ◇初めて見る光景
 
 「発電所に戻らなければ」。そう考えた渡邊は埋設管のルートに沿って車を走らせながら、設備の点検に当たった。複数箇所で漏水を確認。尋常ではない被害に見舞われたのを感じ取った。大きな圧力が加わったのか、埋設管の溶接部分が「花びらが開くような壊れ方」をしていた。それは「初めて見る光景」だった。

 渡邊の自宅は東松島市鳴瀬地区にあった。家が津波に飲み込まれたことを知ったが、幸い家族は無事だった。

 「自宅が流されたことで、家の心配をする必要がなくなった。さらに家族の安否が確認できたことで、かえって気が楽になった」という。区間ごとに点検・補修を行い、通水しながら、漏れがないかを確認していく作業に集中できた。

 損傷を受けたのは埋設管だけではなかった。女川町に水を供給するための分水池にも異変が起きていた。分水するためのバルブが自動で操作できなくなっていたのだ。自動操作が無理ならば、手動でやるしかない。

 渡邊を含む女川支社土木建築課員が24時間体制で手動によるバルブの開閉操作を続けた。分水池の電源室に布団とストーブを持ち込み、急ごしらえながら作業環境を整えた。その期間は約1カ月にも及んだ。こうした格闘を経て4月2日、発電所までの通水が再開した。

 
 ◇泥と汗にまみれ
 
 女川支社副支社長の小林吉明(現・常務)と土木建築課長の阿部賢一(現・原町支社副支社長)は、発電所構内にある事務所で地震に遭遇した。

 埋設管を含む所内用水設備復旧の指揮を執る阿部は、「誰もネガティブなことを口に出さなかった」と記憶している。復旧作業は困難を極めたが、「社員はみんな、マイプラント意識を持っている。悲壮感はなかった。頭が下がる思いだった」と語る。

 小林は、現場作業に出向いた社員が泥と汗にまみれて事務所へ戻り、その格好のまま眠りにつく姿が目に焼き付いている。「所内用水設備を直せるのは当社しかいない。“やらなければならない”という意識で対応していた」と振り返った。

 小林や阿部の言葉を裏打ちするように、現場で奮闘した渡邊は言う。「やるしかないという使命感。それが原動力だった」(敬称略)

電気新聞2020年3月11日

<上>へ   <中>へ