大野氏は、崖崩れの跡がまだ残る厚真町で、復旧にあたった場所を案内してくれた。右は地震後に建てられた電柱。
大野氏は、崖崩れの跡がまだ残る厚真町で、復旧にあたった場所を案内してくれた。右は地震後に建てられた電柱。

周囲が突然、真っ暗に


 
 ちょうどそのとき、北海道電力苫小牧支店配電部の大野史之(59=当時)は、北海道厚真町で高所作業車に乗っていた。近畿地方を中心に深い爪痕を残した台風21号。その配電線被害に対応するためだ。

 車から6~7メートル上方に延びる腕状のブーム。その先に付いているかご状のバケット内で、若手社員と2人で電線に倒れかかった樹木の伐採作業に取りかかろうと、状況を確認していた。

 昨年9月6日午前3時7分、バケットが大きく揺すぶられた。送電線で短絡でも起きたのだろうか、視線の先の山で閃光(せんこう)が走った。だんだん揺れが激しくなり、隣で作業をしていた若手が、悲鳴を上げて抱きついてくる。近くにいた地上作業員に注意喚起しようとしたら、既に逃げ出した後だった。

 バケットが上下に大きく振られ、地面が目の前に迫ってくる。高所作業車の下敷きになることだけは避けたい。車が倒れそうになったら、草むらに飛び込もうか。そう考えていたら、ようやく揺れが収まった。

 現場が深夜の山中で、車両の通行が皆無だったことが幸いした。車両の安定性を高めるために、車両の両脇に張り出させるアウトリガー。いつもなら他の車両の走行を邪魔しないよう道路側を引っ込めるが、地震時は左右ともに出していた。大野は「数日間は高所作業車に乗るのが嫌になった。乗るにしてもアウトリガーを両方とも出すようにした」と回想する。

 余震の恐れもあるため、作業をとりやめて苫小牧支店(苫小牧市)に戻ることにした。その帰途、周囲が突然真っ暗に。全道的に停電している、とラジオが伝えていた。
 

すぐに被災状況の調査へ。交通網は分断され徒歩で向かう場面も


 
図_厚真地区の配電線路+
 支店にたどり着いたのは早朝。支店内で休憩を取り、昼には厚真町に出発した。厚真変電所の被災状況を調べるためだ。変電所内で倒れた配電設備を直してから、町役場などがある市街地に向かった。市街地に入る直前に通過した厚真大橋は、橋の前後が陥没しており、乗っていた車が高くジャンプした。

 厚真大橋の下に敷設された管の中を通る電線は市街地に電気を送る唯一のルート。設備の状況が心配になり、翌7日も調査に訪れた。管の中にカメラを送り込むと、損傷はあるが、絶縁に問題がないことを確認できた。

 調査を終えて支店に帰ろうとしたら、厚真変電所の復旧に向かう協力会社が道に迷っている。土砂崩れや地割れで、通過できる道路が限られていたからだ。道案内を買って出て復旧作業を手伝ったため、支店に戻ることができたのは真夜中。支店から自宅に向かったのは8日午前3時だった。台風21号の復旧対応を始めた4日夕方以来、初めての帰宅だった。

 道路の被災は、現場への行く手も阻んだ。9月21日、厚真町内陸部の山中にある高丘地区。道路が土砂崩れで埋まり、現場に向かう途中で車を降りて歩く必要があった。中堅社員と2人で、熊よけにスマートフォンの音楽を大音量で流しながら進んだ。

 27日、同じ内陸部の幌里地区の現場にも途中から徒歩で向かうと、崖崩れが起きた場所で砂がぱらぱらと落ちている。崖の下を歩くのは危険と判断して、崖をいったん上り、下りる形で通り抜けた。

 土砂崩れなどで通れなくなった道路の復旧が終わった後、即座に配電設備を復旧させて電気を送るためには、事前の現地調査が欠かせない。大野らは険しい道のりもいとわず、現場へと歩んだ。
 

◇ ◇ ◇

 
 北海道胆振東部地震と、その直後に道内全域の約295万戸で起きた大規模停電(ブラックアウト)から、6日でちょうど1年。地震に伴う配電設備の被害は、電柱などの支持物で1095基、電線で674本、変圧器で1479台に及んだ。震度7の揺れに襲われた厚真町での活動を中心に、北海道電力の配電部門がどう設備復旧に立ち向かったのかを取材した。

電気新聞2019年9月6日

※連載「北海道胆振東部地震から1年・その時現場は」は全3回です。続きは電気新聞バックナンバーまたは電気新聞電子版でお読みください。

<参考>
北海道胆振東部地震・苫小牧地区現地ルポ:台風の後、震度7が襲った
https://www.denkishimbun.com/sp/32510
グラフ:北海道胆振東部地震――全域停電からの復帰
https://www.denkishimbun.com/sp/33180