大阪府南部では道に沿って電柱が連なって倒れる現場が目立った
大阪府南部では道に沿って電柱が連なって倒れる現場が目立った

 近畿地方を中心に大きな被害をもたらした台風21号の上陸から、4日で1年がたつ。吹き荒れた暴風雨は、関西電力の電気設備に大きな被害をもたらした。電柱の折損は千本以上、電線の断線なども相次いだ。停電件数は一時最大で約168万件、延べ約220万件に上り、1995年の阪神・淡路大震災以来の規模となった。1年前の台風襲来時に対応した関係者らの話などから、当時を振り返る。
 
 ◇地道な情報集計
 
 昨年9月、台風21号は非常に強い勢力を保ったまま、近畿地方に接近。4日午後1時すぎに兵庫県洲本市付近に上陸し、進路上に暴風雨をもたらしながら、北に向かって近畿一帯を縦断した。

 大阪府南部では、道路沿いに立っているはずの電柱が連なって根元から折れ、道をふさいでいる光景が目立った。関電の岸和田配電営業所は府南部の岸和田市にあり、11市町村、南北約40キロメートルの範囲を管轄する。同配電営業所の永岡克成・計画保全係長は、「停電事故を示すシステムの警報が鳴りやまず、今までの台風とは違った」と振り返る。

 台風の規模が大きく、被害が出ると想定されたため、配電部門では工事途中の箇所を防護する措置を講じたり、復旧を見据えて予定された工事を延期する調整などを事前に進めた。各配電営業所も復旧にあたる社員を確保し、体制を整えていた。岸和田でも4日朝から約100人の社員が営業所に待機し、情勢に気を配っていた。

 午前9時頃、早くに台風の影響下に入った和歌山県などで停電が出始めた。正午頃からは岸和田エリアなど、大阪府内でも停電が発生。「配電自動化システム」で配電線事故を知らせる警報が、営業所内にひっきりなしに鳴り響いた。岸和田配電営業所も一時停電に見舞われたこともあったが、風雨が収まるまで所員らは営業所で待機した。

 
 ◇サーバーダウン
 
 一方でこの頃、社内で停電の状況把握に使い、ホームページなどでの情報提供とも連動する「停電情報共有システム」が停止するトラブルが発生。大量に停電が発生し、膨大なデータを同時に受信してサーバーがパンクしたことが原因とみられる。2日後に復旧するまでの間、社内ではリアルタイムで停電状況を把握できなくなり、社外にも状況を示せなくなった。

 大阪・中之島の関電本店。送配電カンパニーでは停電情報共有システムが停止したことで、健在だった「配電自動化システム」から社員が手作業で停電情報を収集し、入力する体制を取らざるを得なくなった。停電情報共有システムが復旧するまでの2日間、1人当たり数千もの回線の状況を地道に集計し、計算する作業が続いたという。送配電カンパニーの和田哲史・配電部長は「大まかな停電件数、大体のエリアを示さないとお客さまの不安解消につながらず、自治体も何の情報もない状態になる。何とかしないといけなかった」と振り返る。

 各地のコールセンターも混乱した。4日は通常の数倍に上る問い合わせが入り、電話が鳴りやまなくなった。約400人のオペレーターを総動員。停電情報共有システムの停止で正確な復旧見通しは示せないものの、オペレーターは状況を丁寧に説明するなどの対応を心掛けた。
 
 ◇総勢8千人規模
 
 関電の各部門を混乱に陥れた台風の通過後、配電部門ではまず各エリアで被害の全容を把握することに着手した。停電件数が多く、調査が追いつかないことから、本店から各エリアに人員を派遣。協力会社からの協力も得たという。全社では、協力会社や他電力からの応援も受けて、総勢約8千人の規模で調査や復旧に取り組んだ。

 岸和田では現場調査にあたる「把握班」と、復旧にあたる「復旧班」を組織。被害の把握に3日程度を費やした。その後は電力本部や他の営業所、他電力の応援も得て、岸和田では計約230人で復旧にあたった。

 復旧は昼夜を問わず24時間体制で進んだ。複数班が交代で復旧を進め、所員は営業所で数時間仮眠を取っては現場に出て行く日々が1週間ほど続いた。永岡係長は「使命感を持って、よく頑張ってくれた」と所員をねぎらう。岸和田エリアでは山間部も含めて、12日に停電が解消した。

 関電は総力を挙げて復旧した結果、8日までに大部分で送電を再開した。ただ、その後も一部に停電が残った山間部などでの復旧に苦労を強いられる。

電気新聞2019年9月3日

※連載「台風21号から1年・関西電力の現場は」は全3回です。続きは電気新聞バックナンバー、または電気新聞デジタルでお読みください。

<参考>
グラフ:電力の矜持にかけて――台風21号被害と電力復旧の現場から
https://www.denkishimbun.com/sp/32153