2.鉄道と電化

 日本における鉄道の電化は、明治時代に始まり、戦後の高度経済成長期に一気に拡大を見た。

 その方向性には、動力を人力や蒸気機関から電気に置き換える側面と、安全かつ効率的な運行を支えるうえで制御システムを電化するという側面があった。前者には速達化のための工夫や、環境への配慮などの社会的な背景があった。いっぽう後者では、電車そのものの速度を制御する技術と、列車の運行全体を制御する技術の2者が求められた。

 明治時代から大正期は、鉄道の電化における黎明期といって良いだろう。日本で初めて営業運転を開始した電気鉄道は、京都電気鉄道(後の京都市電)である。明治28(1895)年、琵琶湖疏水の水力発電を利用して、京都駅付近から伏見町油掛(現:京都市伏見区)の区間で運行を始めた。その後、名古屋電気鉄道や東京電車鉄道(後の東京市電)など、官民による路面電車の開業が各地で続く。

 いっぽうで都心と郊外を結ぶ電車も走り始める。明治38(1905)年、大都市間を結ぶ初の電気軌道である阪神電気鉄道が運行を始める。また明治43(1910)年に開業した箕面有馬電気軌道(現:阪急電鉄)は、大阪から箕面や宝塚、さらに神戸への路線を敷設し、沿線に住宅地や遊園地、温泉や劇場などを開発するとともに、ターミナルに百貨店や映画館を経営した。鉄道事業と不動産開発、レジャー事業を一体的に行うビジネスモデルを確立した。

 大正3(1914)年、東京駅の開業に合わせて東京駅から高島町駅までの区間の電化工事が完成する。鉄道院(現:JR)として最初の電化であり、電車による本格的な通勤輸送の始まりと見て良い。大正14(1925)年12月には東海道本線の横浜以遠、国府津までの電化が完成する。この時、採用された直流1500Vでの運行が、現在に至るまで多くのJR路線の基準として継承されている。以後、東京圏や関西圏など都市部を中心に電化が進められた。

 また大正8(1919)年には、碓氷峠を越える必要がある信越本線での運行を前提に、初の国産電気機関車であるED40形が製造される。以後、地方の幹線鉄道でも、強い勾配のある区間では電化が検討された。

 いっぽう本格的な鉄道の電化が進捗するのは、戦後になってからのことだ。昭和30(1955)年には、フランスの技術を参考に、変電所の数を減らせるメリットがある交流電化が、仙山線の北仙台~作並間を試験線区として実施される。以後、新規の電化区間のうち、北海道、東北、九州の各地方、茨城県内、北陸本線で交流電化が採用された。

 高度経済成長期に入ると、国鉄は主要幹線の電化を大規模に推進する計画を策定した。東海道本線は昭和31(1956)年に全線の電化が完了、スピードアップとともに輸送力の増強が図られた。さらに昭和50(1975)年には、蒸気機関車やディーゼル機関車の運用が大幅に減少し、主要な本線上での完全な無煙化が達成された。

 ここまで鉄道電化の足跡を概観した。いっぽう制御系も技術開発に応じて、著しい進展をみる。手動的な直接制御から、電気・空気圧による間接制御、そして半導体技術を応用したチョッパ制御へと技術革新を遂げた。

 またATS(Automatic Train Stop:自動列車停止装置)やATC(Automatic Train Control:自動列車制御装置)といった制御システムが開発され、列車の運転を自動的に制御、高速かつ高密度な運行を可能にする基盤が築かれた。

 日本で最初にATSを導入した事例は、昭和2(1927)年に開業した東京地下鉄道(現:東京メトロ銀座線)である。「打子式」と呼ばれるもので線路脇に設置された腕(トリップアーム)が、信号が停止現示のときに立ち上がり、これを通過しようとすると列車の車体下部に備えられた装置を叩き、自動的に非常ブレーキを作動させるものであった。ニューヨーク市の地下鉄を参考に開発されたもので、地下という特殊な環境にあって衝突事故を防ぐための安全装置として開業当初から導入された。

 わが国におけるATSの本格的な導入は、第二次世界大戦後になる。昭和29(1954)年、山手線と京浜東北線に「B形車内警報装置」が導入された。停止信号に接近すると運転台の警報が自動的に鳴る機構であり、列車を停止させる機能はなかった。昭和37(1962)年、この装置が導入されていたにもかかわらず、三河島事故が発生する。これを契機に、自動的に非常ブレーキを作動させる機能が追加され、現在のATSの原型が確立された。日本におけるATSは、戦前の地下鉄が安全対策の先駆けとなり、戦後になって発生した大事故を教訓に全国の鉄道に普及を見る。