4.リニアモーターカーの開発
日本のリニアモーターカーの開発は、1960年代に旧国鉄で着手されたのち、現在のリニア中央新幹線計画へと繋がる。
昭和37(1962)年、 旧国鉄の鉄道技術研究所(現・鉄道総合技術研究所)で、東海道新幹線の次世代高速鉄道としてリニアモーターカーの研究が開始された。昭和47年(1972)年、実験車両である「ML100」が磁気浮上走行に成功する。
電化遺産としては、宮崎県に建設されたリニアモーターカーの実験線「浮上式鉄道宮崎実験センター」を選びたい。宮崎県日向市と都農町にまたがり、JR日豊本線に沿って全長約7kmの区間が確保された。昭和52年(1977)年から平成8(1996)年にかけて、浮上、推進、案内などの基本的な技術開発や走行試験が行われた。
昭和54(1979)年には実験車両「ML-500」が、無人走行で時速517kmの世界最高速度(当時)を達成し、リニア技術の可能性を世界に示した。昭和55(1980)年には、ガイドウェイ(軌道)の形状を逆T字型からU字型に変更し、有人走行が可能な車両「MLU001」の走行試験がスタートする。
その後、1990年代に山梨実験線にその役割を譲り、走行試験を終了する。宮崎実験線の高架の一部は、現在、太陽光発電施設として活用され、JR日豊本線の車窓からその跡を見ることができる。
山梨では、2003(平成15)年には実験車両「MLX01」が時速581km、2015(平成27)年にはL0系が時速603kmの有人走行で世界最高速度を更新した。もっとも品川と新大阪を結ぶリニア新幹線を整備事業に着手するまでは、技術の進展を待つ必要があった。
昭和48(1973)年、中央新幹線が「全国新幹線鉄道整備法」に基づく基本計画として決定していたが、その方式は未定であった。ようやく平成23(2011)年になって、走行方式を超電導リニア方式に決定、JR東海が建設主体に指名された。平成26(2014)年に東京(品川)と名古屋間での工事が着工する。
ちなみに磁気浮上式鉄道として正式な営業運転免許を取得した日本初の営業路線は、平成元(1989)年に横浜で開催された横浜博覧会の会場内で運行された「YES’89線」になる。日本航空が主体となって開発を進めていた電磁石の吸引力で浮上するHSST(High Speed Surface Transport)と呼ばれる常電導方式で、美術館駅とシーサイドパーク駅を結ぶ515mの区間を運行した。
YES’89線は博覧会終了とともに運行を終了したが、その後、愛・地球博で開業した「リニモ」など日本の常電導リニアの発展に大きな影響を与えた。「YES’89線」は先駆的な試みだが、平成になってからの事例であり、今回は選定外としたい。
5.関西民鉄の個性的な車両 ラビットカー/ズームカー/ジェットカー
特定のコンセプトを持つ個性的な民鉄の車両から、電化遺産にふさしいものを選びたい。戦後、郊外に路線を伸ばす私鉄には、平坦な市街地、山岳地帯、駅間距離の短い区間など、それぞれの会社の路線特性やニーズに合わせて、個性的な車両を開発した。
ラビットカーとして知られる近畿日本鉄道の近鉄6800系電車は、昭和32(1957)年に登場した。既成市街地を走行する奈良線や大阪線、南大阪線などで、駅間距離が短い区間でも高速運転を可能にするために、「高加減速性能」と「通勤輸送能力」の両立をはかるべく設計された。
ラビットカーという愛称は、停車駅が少なく高速で走る特急列車に対し、各駅に停車しながらも俊足で走る姿が、軽快に飛び跳ねるウサギを思わせることから名付けられたという。車体はオレンジと白のツートンカラーが特徴で、側面にウサギをモチーフにしたラビットマークが描かれていた。
南海電気鉄道のズームカーは、高野線のうち平坦な都市部と急勾配の山岳地帯(極楽橋~高野山)を直通で運行できる車両として設計された。平坦区間では高速運転(最高100km/時)を可能とする性能を有するとともに、山岳区間では最大50パーミル(1000m進む間に50m登る)の急勾配や半径100mの急カーブにも対応できる牽引力とブレーキ性能を備えていた。昭和33年に登場した21000系、および後継車両の22000系がある。東洋電機製造が開発したカルダン駆動や高ギヤ比のモーターを採用、安全対策として発電ブレーキや手ブレーキも搭載されていた。
ズームカーというユニークな名前には諸説がある。平坦区間で高速運転、山岳区間では急勾配・急カーブを力強く登る牽引力を有していることから、広角から望遠まで画角を自由に変えられるカメラのズームレンズに例えたという説がある。いっぽう急勾配を力強く駆け上がる様子が、航空機が速度を犠牲にして急角度で上昇する「ズーム上昇」に似ていることから命名されたという説もある。
阪神電気鉄道のジェットカーは、約31kmの間に32駅があり、平均駅間距離が約1kmと極端に短い阪神本線(大阪梅田~神戸三宮間)を走行する普通列車を想定して開発された。頻繁な停車と発車を繰り返すことから、「超高加減速性能」と「高頻度運転」とが求められた。昭和33(1958)年に導入された初代車両である5001形は、当時の世界最高水準となる起動加速度4.5km/h/sを実現、一般的な通勤電車の約1.5倍の加速力を誇った。
ジェットカーの名前は、従来の車両をプロペラ機とみなしつつ、新型の高加減速車をジェット機に見立てた命名である。また、その後に登場した車両が、青色とクリーム色のツートンカラーだったことから「青胴車」の愛称で親しまれた。
同時期に開発されたラビットカー、ズームカー、ジェットカーは、それぞれ目標は異なるが、日本の鉄道技術を象徴する高性能車両であり、その愛称とともに多くの鉄道ファンに親しまれてきた。電化遺産としては3例をまとめて、「関西民鉄の個性的な車両」として選定しておきたい。
近鉄のラビットカーは後継車両の登場により順次、引退をしたが一部の車両は、養老鉄道(岐阜県)に引き渡された。南海のズームカーも同様に地方私鉄(大井川鐵道など)に譲渡された車両もあるが、22000系の車両は観光列車「天空」に改造されて現在も運用されている。いっぽう阪神のジェットカーの系譜は、現在に至るまで技術革新を重ねながら進化を続けている。





