5.幻の正力タワー

 具体化しなかった電波塔の事例もあげておこう。
 昭和40年代、都心では高層ビルが増加したことを受けて電波障害が深刻化テレビの難視聴地域が社会問題になる。NHK(総合と教育)、TBS、フジテレビ、NET(テレビ朝日)、東京12チャンネル(テレビ東京)の各局は、東京タワーから放送を行った。
 対して従来のように、自社が有する麹町のタワーから放送を行なっていた日本テレビは、特に中央線沿線や三多摩地域などへの電波に障害があったらしく、苦情が寄せられたようだ。昭和43年5月、課題を解決するべく、日本テレビは総工費150億円で新宿区東大久保の社有地に高さ550メートルの新テレビ塔を建設する計画を発表する。
 会長であった正力松太郎の提言によることから「正力タワー」などと呼ばれることに。先行して正力は、よみうりランドに100階~200階のビル群の上に総高4000メートルの「読売タワー」を建設するアイデアも示していた。
 これに対抗するかたちで昭和44年7月、NHKも新電波塔の建築計画を発表する。内幸町の放送センターを売却したうえで、代々木公園の一角に高さ488メートル、最大直径40メートルの塔を建設するという構想であった。総工費は65億円、最上部に4層構造の展望台を設けて、300人収容できる回転レストランを併設するとした。
 産経グループの主導で建てられた集約電波塔である東京タワーに各局の送信機能を集約することに対して、日本テレビもNHKも考えるところがあったようだ。しかし新規に東京タワーを凌ぐ高さの2本の電波塔を建てる計画に対しては、都市景観を損ねるのではないかと批判が噴出する。
 もっとも日本テレビの構想は発表してまもなく頓挫する。昭和44年10月に正力松太郎が逝去、翌年1月に郵政大臣による斡旋を受け入れ、新たなタワー計画を保留し、東京タワーからの放送に合意する。麹町にあった日本テレビの電波塔は、昭和55年2月に廃止され、同年8月までに解体を終えた。麹町社屋は本社が汐留へ移転した後も分室として使用、南館前に電波塔から取り外されたスーパーターンスタイルアンテナがモニュメントとして保存されている。

6.送信塔

 電波塔のなかで戦後において新たに発展したのが、位置情報などを得るための電波を送る送信塔や、各地の港湾に設置された信号所に付設するタワーの類である。なかには大阪港の中央突堤のあったハーバーレーダーのように、港湾のシンボルとなったものもある。
 ここでは高さにこだわって、いくつかの事例を紹介しておきたい。高さが際立つ事例が、高さ411.48メートルであった東京都小笠原村の「南鳥島ロランC局」「硫黄島ロランC主局」の塔である。「ロラン(LORAN)」とは、 船舶や航空機が利用する地上系電波航法システム「長距離電波航法(long-range navigation)」の略称である。
 このうち「南鳥島ロランC局」は、411.48メートルの高さを誇るマストで昭和38年に米国の沿岸警備隊によって建設されたもので、昭和43年に小笠原諸島が日本に返還されたことで東京タワーを抜いて日本最高の建造物となった。
 この記録を破ったのが、昭和50年から運用が開始された長崎県対馬市上対馬町の「対馬オメガ局送信用鉄塔」である。「オメガ電波鉄塔」「オメガタワー」「オメガ塔」となどの略称がある。地上454.83メートル、塔本体を多数のワイヤーで支える形式の支線塔であり、敷地は1キロメートル四方に及ぶ。東京スカイツリーが竣工するまでは日本一の高さを誇った。
 ロラン局、オメガ局ともに、高精度な衛星系電波航法システムであるGPSの普及によって役割を終え、順次、解体された。

7.送電鉄塔 海渡り列島を結ぶ連系線

 送電鉄塔は送電線を支える支柱であり、津々浦々を網羅する電力供給ネットワークの一部として機能している。日本全土にある膨大な鉄塔から10基をどう評価し、選ぶかは難題でもある。この「通信塔と送電塔」の回においては、本来の電力供給ネットワークの一部としての役割、機能、歴史的な位置付けなど技術的な側面はいったん脇に置き、「塔(タワー)としての存在感」に焦点を当てて選んでみたい。具体的には、建造物としての面白さ、その鉄塔が立つ風景や地域気候や環境との調和、そこに現れるストーリー性などといったところが観点となった。昭和の時代に急速な発展を遂げた電力供給ネットワークの構築とその技術的な足跡を踏まえた設備の選定については、「送配電設備」(第6回を予定)の回で丁寧に見ていきたい。
 とはいえ今回、あまたある鉄塔からどうやって候補を選ぶかという点では、近年は一般送配電事業者らが「推しの鉄塔」をカードにして発行する「鉄塔カード」(※コラム参照)に登場しているものを基準とした。本稿の解説についてもカードの記述を引用させてもらっている。
それでは順を追って見ていこう。
 まず縦に長い串形系統である日本において、本州とそれ以外の地域を結びつける「地域間連系線に用いられる鉄塔」からみていこう。海峡や水道などを渡る区間にあって、大スパンとなることからおのずと高く鉄塔を建てる必要性が生じる。
 この類型では、大三島支線・大久野島に立つ、高さ226メートルと日本で一番高い鉄塔となる「中国電力大三島支線11号」を選定したい。
 あえて「鉄塔カード」外からの選定となったが、本州と四国を結ぶ中国四国連絡送電線は、6海峡を横断するもので、昭和36年4月から本格的な工事が進められた。そのうち竹原市内の忠海~大久野島間(2357メートル)、大久野島~大三島間(1423メートル)にあって、送電線の下を走航する大型船舶の通航を妨げないように海面上42メートルの空間を確保、巨大な鉄塔で1本の重さが10トンを超える送電線6本を支えるべく、巨大な鉄塔が建設された。海風による塩害を防ぐべく防食油を塗るなど、特別仕様になる。実は、近隣の大崎火力線には日本で二番目に高い223メートルの鉄塔がある。

山口県下関市と北九州市門司区を結ぶ関門橋と並行して渡る門関連系線
山口県下関市と北九州市門司区を結ぶ関門橋と並行して渡る門関連系線

 海を渡る連系線を支える鉄塔では、本州と九州を結ぶ関門連系線(電源開発送配電ネットワーク、昭和55年、50万V)の鉄塔を挙げる向きも多いだろう。関門連系線は九州電力送配電の北九州変電所(北九州市小倉南区)と中国電力ネットワークの新山口変電所(山口県美祢市)を結び、亘長は約65キロメートルにおよぶ。太平洋戦争末期に敵航空機の攻撃にさらされながら工事を中断することなく施工され、昭和20年に11万Vの「関門幹線」として運開した。その後、電力需要の増加に対応し、昭和34年に22万Vに、さらに昭和55年に50万V化された。
 関門連系線42号鉄塔は、九州送配電の西谷門司線(九州電力送配電、22万V)28号鉄塔として、両線を併架する「門型鉄塔」で全国的にも珍しく、鉄塔ファンに人気がある。また94鉄塔と95鉄塔の間(径間998メートル)の下には関門海峡がある。海峡上の電線は、最も低い部分でも海面から70.28メートルを確保されている。関門橋の北東側に平行して走ることから、関門橋の下を通過できる船舶は、関門連系線の下も通過できるように設計されている。