国の登録有形文化財に登録されることになった富山電気ビル(正面入り口から右が本館、左が新館)
国の登録有形文化財に登録されることになった富山電気ビル(正面入り口から右が本館、左が新館)

 富山大空襲に耐え、かつて北陸電力本店も入居していた富山市桜橋通りの「富山電気ビルディング」が国の登録有形文化財(建築物)に登録される。7月20日に文化審議会が林芳正文部科学相へ答申した。対象は本館と新館の2棟。富山市に戦前から残る数少ない歴史的建造物で、タイル張りの重厚な外観は“昭和のオフィスビル”を象徴する存在となっている。富山のランドマークとして長く市民に愛され、オフィスビルとしても現役を続けている。近く正式に登録される。

 富山電気ビルディング(通称・電気ビル)本館は、1936(昭和11)年に竣工した。地上5階、地下1階建てで富山県初の鉄筋コンクリート造りの本格的複合オフィスビルとして完成。ホテルやレストラン、大ホールなども併設された。外観は垂直性を強調する重厚なデザインながら、バルコニーや丸窓を設けてアクセントをつけたことなどが文化財としての評価につながった。

 内装は、博覧会の開催に併せて迎賓館的な役割を持たせるため、エレベーターホールや階段、手すりに至るまで時流に沿った造作がほどこされた。また電気時計や真ちゅう製のポストなど往時をしのばせる備品と設備が今も数多く残る。

 竣工時に北陸電力の前身である日本海電気の本社が入居した。45年8月1日の富山大空襲で5階大ホールに焼夷(しょうい)弾が落ち火災が発生。金井久兵衛氏(後の北陸電力第2代社長)らの消火活動で延焼を食い止め、市内が壊滅的な打撃を受ける中で建設当時の外観を保った。戦後は進駐軍に接収され、52年まで司令部が置かれた。

本館南側のエントランス。写真左側にある真ちゅう製の郵便ポストは今も現役だ
本館南側のエントランス。写真左側にある真ちゅう製の郵便ポストは今も現役だ

 新館は56年に竣工。地上6階、地下1階建てで外観デザインは本館と統一性を持たせ、本館と新館でL字型を構成する配置となった。2棟は現在、富山電気ビルデイング(山田岩男社長)が所有する。北陸電力グループなどの企業・団体が入居するほか、レストラン、結婚式場、ビアホールも営業している。

 電気ビルは、一貫して北陸地域の電力供給の拠点として役割を果たしてきた。日本海電気はその後、北陸合同電気、北陸配電を経て、51年に北陸電力が発足。89(平成元)年5月に北電ビル(富山市牛島町)が完成するまで北陸電力が本店を置き、同社が昭和の時代をともに過ごしたビルでもある。50代後半以上の社員と役員からは、旧本店時代を懐かしむ声も聞かれる。

 登録に当たり富山電気ビルデイングの山田社長は「富山大空襲の戦禍や進駐軍による接収など、幾多の困難な時代を乗り越え富山の発展とともに歩んできた電気ビルの歴史的価値が認められ、大変光栄」とコメントしている。

電気新聞2018年7月24日