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バナー_石川迪夫_福島原発

電気新聞2016年2月3日掲載のコラムを加筆・修正しています

 「格納容器は安全最後の砦」は、原子力の安全常識と言うより、安全設計の基礎をなす考え方であった。安全設計や防災対策はここを基点に進められてきた。だが、福島事故のデータは、この基本的な原子力安全思考にも疑問符をつけた。その主役が、発電所正門付近を持ち場としていた放射線モニターカーの測定値だ。

 モニターカーが測定した放射線量は事故直後から上昇したのではなく、翌朝4時頃までの半日ほどの間は、平常時の背景線量率0.3ミリシーベルト/年と同じであった。だが、翌日12日午前4時頃に20ミリシーベルト/年と100倍ほど一挙に上昇し、次いで翌々日の14日午後10時頃には約1500ミリシーベルト/年と、さらに100倍程の上をみせた。モニターカーの記録は、100倍ほどの線量率上昇が2度起きたことを教えている。

 この2度の線量率上昇が、福島事故の放射能放出の特徴だ。これを事故の経過と対比すると、最初の上昇は1、3号機の炉心溶融、爆発の時間帯に重なり、第2の上昇は2号機の放射能放出と一致する。この事実から、最初の上昇は1、3号機からの放射能放出であり、2度目の上昇は2号機からの放出と判断できる。

 では何故2号機からの放射能放出は、1、3号機と比べて100倍も高いのか。その理由は放射能の放出の仕方の違いにある。1、3号機からの放出はベント放出といって、放射能は格納容器に貯留してある大量の水を潜った後、スタックを通して放出された。これに対して2号機の放出は、ベントが出来なかったために、格納容器が高温過圧状となって損壊を起こし、損壊部分から溶融炉心の放射能が直接環境に漏出した。放射能濃度が100倍も違ったのは、ベント放出と直接放出の相違にある。

 ベント放出では、放射性ガスが水を潜り抜ける過程で放射能を洗い落とす。一種の嗽効果だが、この除染効果が非常に大きく、環境へ出る放射能を100分の1ほど減少させる。福島事故の特徴である2度にわたる階段状の放射能放出の理由は、このベント効果で説明出来る。なお、ベント放出に伴う水の除染効果は、実際には更に一桁ほど高く1000程度あるが、その説明は複雑で余白を費やすので、本稿では100のまま述べる。

 さて、国際放射線防護委員会(ICRP)は事故直後に日本政府に対し、周辺住民の避難線量として20~100ミリシーベルト/年の範囲を勧告してきた。この勧告は、同案の日本政府の批准が遅れていたからだが,2度に亘っての勧告は、ICRPの好意以外の何者でもない。なお、ICRPは年間線量100ミリシーベルト以下の被曝であれば、人体への影響はないとの医学的見解に立つ。菅政府はICRPの勧告を受け入れ、最下限値の20ミリシーベルト/年を国として採用した。だがこれは大分後の話しだ。

 放射線の人体影響には様々な主張がある。特に事故後は雨後の筍(たけのこ)の様に、色々な主張が勝手に出た。有名なものに、事故直後の小佐古東京大学教授<編注:小佐古敏荘氏。当時、内閣官房参与を務めていた>が涙を流してテレビで訴えた5ミリシーベルト/年や、細野・佐藤会談<編注:当時の細野豪志原発事故担当相兼環境相と佐藤雄平福島県知事>での政治家同士の談合により、除染線量を1ミリシーベルト/年に決めたことなどがある。これらが一人歩きした結果、国民に混乱を与えている。

 この絡みの中で、福島事故での最初の放射線上昇が、勧告値の下限値に近い約20ミリシーベルト/年と同じであったことは、このややこしさを和らげ、我々の理解を助けてくれる。偶然とは言え、大きな天佑神助だ。

 福島事故での最初の線量上昇は、1、3号機の溶融炉心からの放射性ガスによる上昇である。この溶融炉心が吐き出す放射能がベントの嗽(うがい)効果で除染されて、僅(わず)か1キロメートル離れた正門付近では線量避難勧告値の下限20ミリシーベルト/年にまで下がっていることを、事故データは明確に示している。ベントが予期以上の安全効果を発揮することを教えてくれたのだ。

 逆に、「最後の砦」としてとことん頑張った2号機の格納容器は損壊し、損壊部分から漏れ出た放射能の線量率は、避難勧告値を大幅に上回った。格納容器に安全を託す従来の方法と、福島事故で採用したベント放出と、いずれが安全か、その優劣は問うまでもあるまい。

 竿頭一尺*、更に議論を進めると、事故初期にベントを開いておけば、格納容器に放出されるガスは外界に出て行くので、格納容器の過圧損壊はあり得ないし、また仮に炉心溶融に至っても、ベントの嗽効果で、周辺地域の線量は避難値に達しないとの結論に達する。

 となれば、格納容器を悲壮感漂う「最後の砦」と考えるのは間違いだ。格納容器の役割は、事故時にベントに送り込む放射性ガスの一時の溜まり場であれば良いから、既存設備のように耐圧容器である必要もなくなる。

 ご覧の様に、ベントの除染効果は巨大だ。ベントによって、「格納容器は最後の砦」は福島以前の過去の物語と化した。安全の基盤、中心的な存在と信じられてきた格納容器の役割に変化が起きたからで、今後の発電所の設計や安全対策は、ベントを積極的に活用することで大きく変化することとなろう。

 こう言い切る根拠は、溶融炉心から出てくる放射能放出の実体を明確に捕らえたモニターカーの功績にある。敢えて言えば、炉心溶融時の放射能放出状況を捕らえた、世界最初の測定値である。それも3基もの炉心溶融が残してくれたデータだ。十分に吟味して、将来の原子力安全に活かさなければ、罰が当たる。

*竿頭一尺:曲がる竿竹をさらに一尺登るという意味。囲碁などで思いきった手を打つ時の不安な心理状況を示す

電気新聞2016年2月3日

※『考証 福島原子力事故 炉心溶融・水素爆発はどう起こったか』増補改訂版に、この内容が詳しく書かれています。

 

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東京電力・福島第一原子力発電所事故から7年。石川迪夫氏が2014年3月に上梓した『考証 福島原子力事故ー炉心溶融・水素爆発はどう起こったか』は、福島原子力事故のメカニズムを初めて明らかにした書として、多くの専門家から支持を得ました。石川氏は同書に加え、電気新聞コラム欄「ウエーブ・時評」で、事故直後から現在まで、福島原子力事故を鋭い視点で考証しています。このたび増補改訂版出版を記念し、「ウエーブ・時評」のコラムから、事故原因究明に関する考察を厳選し、順次掲載していきます。