群馬・中之条町にある太子駅で公開されている鉄鉱石を貨車に積むホッパーの基礎部(左)と古い貨車
群馬・中之条町にある太子駅で公開されている鉄鉱石を貨車に積むホッパーの基礎部(左)と古い貨車

 ぼろぼろになったコンクリートの構造体と、錆の目立つ貨車。産業遺産として復元され、今年春から公開されている群馬県中之条町の太子(おおし)駅での光景だ。

 構造体は、鉄鉱石を貨車に積むホッパーの基礎部=写真左。太子駅が1945(昭和20)年に開業した鉱山の専用線の始発駅だった名残だ。5月からは古い貨車=写真右=も展示されている。この貨車は、静岡県の大井川鉄道井川線で使用されていた。57(昭和32)年に完成した中部電力井川ダムなど、大井川での電源開発の礎だった井川線。53(昭和28)年製造の貨車も開発に貢献していたという。

 つくられてから半世紀以上の時を重ね、静岡と群馬の2地域の産業遺産が並んだ姿は、戦後復興やその後の成長を支えた電源や資源の開発事業を想起させる。
 

群馬・太子線の太子駅に、静岡・大井川鉄道で活躍した貨車を展示

 

復元・公開されている太子駅のホッパー(左)やホームと大井川鉄道で遣われていた貨車
復元・公開されている太子駅のホッパー(左)やホームと大井川鉄道で遣われていた貨車

 太子駅は、日本鋼管群馬鉄山の鉄鉱石を運ぶ専用線「太子線」の始発駅として、戦時中の1945(昭和20)年に開業した。太子線は52年に旧国鉄に移管。54年に地元住民の要請を受けて旅客営業も開始したものの、鉄山の閉山に伴い営業を停止して71(昭和46)年に廃線を迎えた。

 中之条町は観光資源として活用するため2013年度から一帯の整備を開始。土に埋もれていたホッパー基礎部や線路を掘り起こし、当時の駅舎を復元するなどして一般公開を始めた。
 
 ◇同時代担う
 
 復元を進める中、同時代に静岡県の山中を行き来しながら活躍した貨車を展示する話が持ち上がった。その貨車が使用されていた大井川鉄道・井川線は1935年に大井川電力会社の専用鉄道として運行を開始し、大井川の電源開発とともに発展した。51年の電力再編成後は中部電力が延伸し、54年に全線開通。57年に完成した井川ダムや発電所などの資材運搬に用いられた。

 譲渡された貨車は53年製造。電源開発事業や住民の生活物資の運搬などに携わったという。現在の井川線は日本唯一のアプト式鉄道で、奥大井の大自然の中を走る観光鉄道。貨車の使用はまれになり、「大井川鉄道の名前とともに人の目に触れ、活用されるのならば」と展示に至った。

 6月上旬に太子駅を訪問すると、展示物を熱心に眺める男性がいた。当時、太子駅から高崎駅まで鉄鉱石を運ぶ列車の機関士をしていたという前橋市の富澤國一さん(92)だ。
 
 ◇箱根越えて
 
 復元された駅舎を見て「そっくりだ。ただ、こんなにきれいじゃなかったよ」とほほ笑む。展示された貨車を見ては「箱根を越えてやってきたのかな。大井川を越えるのは大変だったんだよ」と当時の物資輸送の困難さに思いをはせていた。記憶があふれ出るかのように貨車の特徴や仕事の仕方など、当時の様子もとつとつと説明してくれた。

 150キロメートルの距離を越え、半世紀以上の時を重ねた産業遺産が太子駅に並んで人々の目に触れるようになった。ホッパーや貨車が活躍した頃、このような巡り会いがあるとは誰も想像しなかっただろう。今では鉄道や道路によってアクセスが容易になった両地域。自然豊かな現地で、産業の成長に尽力した人々に思いを巡らせるのも一興だろう。

電気新聞2018年6月26日