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電気新聞2017年1月11日掲載のコラムを加筆・修正しています

 2016年初夏、いわきから八戸まで大震災の跡をドライブした。海が見える海岸線は、防潮堤建設のダンプで賑わっていた。道路には津波の到達高さを示す標識があるが、高みに残る家並みと被水以下の荒廃は一線で画され、より歴然と津波の爪痕を示していた。

 津波の被害は有か無、かくも違う。防潮堤建設に寄せる被災者の思いは熱いものがあろうが、これで安心と言えないのが辛い。

 わずか250年前に石垣島を襲った八重山津波の高さは、85メートルあった。この津波で島民の数は半数になったという碑が、海の見渡せる丘の中腹に残っている。アラスカに残る津波痕跡は高さ500メートルという。こんな大津波は、新しい防潮堤でも防げない。原子力発電所について考えてみても、このような津波がくれば、原子力規制委員会が命じた津波対策のほとんどが役に立たない。

 昔の人は、抗しがたい自然災害を天の災いと呼んだ。人知の及ばぬものと諦め、我が身を守ることに専念した。言い伝えの「津波てんでんこ(各自てんでに逃げる)」は、その機微を良く表している。

 天災はちょっとした自然の変調で起きる。その元となる太陽や地球のエネルギー量はべらぼうに大きいから、ちょっとした変調が防ぎきれない大災害となる。例えば、台風を生む太陽エネルギー量は、人工エネルギー量の2万倍もある。地震は地熱の長時間蓄積による地盤のずれで起きる。いずれも、そのエネルギー量を人間が律することはできない。

 これに対し、我々が防災対策に使うエネルギー量は、天災と比較にならないほど小さい。だから勝てない。人力では防ぎようがない。昔の人はこの事を知っていた。「てんでんこ」が示す、自分の身を守るのが精一杯、被害は甘受する、この日本独特の諦観の思想は天災の数と無縁ではあるまい。

 だが科学技術が進んだ今日、自然災害に対して諦めるだけでは智恵がない。自然災害の持つ脅威を見極めて対策を立てることで、ある程度の天災は防止できる。その具体策が多様性にあることは、前報で述べた。

 問題はそれを凌駕する天災だ。わかりやすく言えば八重山津波が起きた時にどうするかである。準備した防災対策が破壊されれば、残るは緩和手段しかない。先ずは「てんでんこ」で我が身を助ける努力をする。幸運にも助かれば、次は命の保全、養生だ。この「命の養生」を円滑に行う備えを社会全体で作るのが災害緩和システムの構築だ。

 原子力発電の場合、行うべき災害緩和は三つある。それは、発電所災害の随発の防止、「命の養生」としての天災の緩和、放射線災害の防止である。東日本大震災の例から検討してみよう。

 福島第一原子力発電所における災害の随発は、全電源喪失状態が長時間継続したことによる。爆発と放射能放出が起きたが、最終的には溶融炉心の冷却には成功した。さらにいえば、事前に簡易発電機などの用意があり、また政府が電源船を派遣するなどしていれば、2、3号機の炉心溶融は起きなかったであろうし、災害は大幅に緩和できたはずだ。

 天災の緩和は、東北電力女川発電所に見られる。津波災害をまぬがれた近隣の360名余が発電所内に助けを求めた。東北電力は、発電所の規則を破って彼らを発電所内に収容し、乏しい食料を分かち合って、3カ月間を凌いだ。さらには発電所員が、生き残った1台の土木機械を使って崩れた山に道を作り、孤立から脱出した。これぞ災害緩和の精神、その精華といえる。

 福島原子力事故直後の放射線災害は重篤ではなく、震災当夜の強制避難は時期尚早だった。放射線量を測定し、避難区域を定めて実施していれば、避難による死亡者は少なかった。米スリーマイル島原子力発電所事故や旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所事故の事例をみれば、事故が発生してから放射線災害が始まるまでには大きな時間的余裕がある。このことを国の原子力防災に関する専門委員会などの場で何度も伝えていたのだが、それが生かされなかった。菅直人政権が原子力事故時のルールを守らず、無計画に緊急避難を命じたために、多くの災害関連死につながった。もしあのとき、時間的余裕を考慮していれば、帰宅困難問題も過疎問題も今日ほど大きくならなかっただろう。政府に災害緩和の思考がなかったことが悲劇をもたらしている。

 以上、災害緩和社会システムの出来、不出来は事前の準備に加えて、関与した人の品質(能力と仁愛)によることが分かる。大切なのは人、当事者の対応能力とモラルだ。これを培うのは、形骸化した学習ではなく、高い社会意識に後押しされた日常の習慣にある。

 元来日本人は、高い社会意識を確立することには長けているから、災害緩和社会システムの理念構築には期待が持てる。

 ただ、心配は風評被害だ。デタラメ学者、知ったかぶりのマスコミにお笑い評論家、これらが醸し出す低俗な害毒が、SNSなどでまき散らされ、社会意識を蝕むことだ。だがこれは、余生短い僕が心配する事ではあるまい。

 新常識のテーマはこれで終える。長期間のご叱声に感謝します。

電気新聞2017年1月11日

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東京電力・福島第一原子力発電所事故から7年。石川迪夫氏が2014年3月に上梓した『考証 福島原子力事故ー炉心溶融・水素爆発はどう起こったか』は、福島原子力事故のメカニズムを初めて明らかにした書として、多くの専門家から支持を得ました。石川氏は同書に加え、電気新聞コラム欄「ウエーブ・時評」で、事故直後から現在まで、福島原子力事故を鋭い視点で考証しています。このたび増補改訂版出版を記念し、「ウエーブ・時評」のコラムから、事故原因究明に関する考察を厳選し、順次掲載していきます。