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復活したJヴィレッジ。福島復興のシンボルに
電気新聞 山口 翔平(写真も)
2018年8月9日
7年4カ月前、Jヴィレッジは事故対応の拠点となった
■スタジアムにはプレハブ宿舎が並んでいた
福島第一原子力発電所事故の対応拠点となっていた当時、スタジアムにはプレハブ宿舎が並び、乾いた砂利道が敷かれていた。(2016年2月)
■芝生のピッチは駐車場になった
事故発生から約1年、2012年3月のピッチ。芝生も消え、事故対応にあたる人々の車で埋め尽くされていた
■東京五輪が決まり、再開の機運が高まった
駐車場や資材置き場になったピッチを負の遺産として残そうという声もあったそうだが、2013年に東京五輪・パラリンピックの開催が決まると、再開に向けた機運が高まった。16年12月には原状回復工事が本格化した。(2017年2月)
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