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電気新聞2014年11月19日掲載のコラムを加筆・修正しています

 福島事故についての東電データを子細に見ていくと、炉心溶融の防止手段として、今一つ別の方法があった事に気付く。

 本稿は、原子力発電に従事する人達のための解説だが、そんな手もあったのかと眺めて貰うだけで良い。緊急時の金言、「冷静な敵情分析」と「余計な事をするな」の重みに気付かれると思う。

 3号機の事故記録を見ると、原子炉を冷やす隔離時冷却ポンプ(RCIC)の稼働中は炉心の冠水は維持されているから、炉心溶融の心配はない状況にあった。この頼りとするポンプが停止したのが、3月12日の昼だ。

 原因はRCICタービンの排気圧高インターロックにあったというが、これが見破れずポンプの運転は復活しなかった。この時刻、隣接する2号機のRCICは、制御電源なしでも運転を継続していたから、冷静に検討していれば問題点が分かり、再起動できたかもしれない。なお、3号機の事故時操作については,炉心スプレーなど多くの操作が行われたこともあり、その実態、記録が定かではない所もあるという。

 RCICが停止したので、原子炉水位が低下し、水位低信号により高圧注水ポンプ(HPCI)が自動起動した。3号機は直流電源が生きていたので、このような芸ができた。

 ところで、HPCIのポンプ容量はRCICに比べて10倍程も大きい。しかもその水源は、屋外にある復水貯蔵タンクの冷たい水だ。この相乗効果で、HPCIの作動は原子炉の過冷却状態を招いた。

 このため、7.5メガパスカルもあった原子炉圧力が1メガパスカルに、炉心温度が180℃くらいにまで下がったのが午後6時頃で、原子炉の状況は炉心溶融とはほど遠い状態にあった。

 ただ運転員にとって気がかりなことは、過冷却となったことでポンプの駆動蒸気の圧力が下がり、HPCIに水を汲み上げる力がなくなったことだった。時間が経過すれば原子炉の水位低下が予測されるのだ。

 これに気付いて、故吉田所長は消防ポンプによる注水を急がれたのであろう。注水によって現状を維持していれば、やがて事故は収束できると。この判断は正しい。

 所長の命令一下、職員は注水作業に入った。消防ホースを繋ぐ者、ベントを開く者、作業は海水注入を視野に入れていた。

 気づき難い事だが、HPCIが動いている限り、原子炉の蒸気はHPCIのタービン配管を通って格納容器水室に流れ出るから、原子炉の温度は低いままである。後はベントをゆっくりと開いてやれば原子炉圧力は漸減し、やがては消防ポンプによる注水が可能となる。ところが上記作業の過程で、HPCIを停止するという、全く余計な操作が13日朝に起きていた。理由は色々と報告書に記載されているが、明確ではない。

 HPCIの停止によって蒸気の出口が閉ざされた原子炉には、崩壊熱による圧力の再上昇と、燃料温度上昇が起きた。この結果、13日午前9時25分の注水によって燃料棒が分断し、炉心溶融に到った。

 HPCIの停止がなければ、原子炉は上記の低温低圧状態を保持できていたから、ベントさえ開けばさらなる減圧によって、消防ポンプによる海水注入で炉心冷却は即時可能であった。炉心温度が低いままであればジルコニウム水反応は起きないので、炉心溶融や水素ガスの発生は起きなかった。冒頭に述べた別の手段とはこのことで、ベントさえ開けておけば、原子炉の圧力はHPCIの配管経由で格納容器水室に入りベントから出て行くので、原子炉の減圧操作が不要となる。これがメリットだ。

 言い換えれば、HPCIで炉心が冷えた後ベントを開けば,消防ポンプの注水だけで原子炉の冷却は可能となる。BWRは、あの事故状態にあっても炉心冷却の方法が二つあった。一つは原子炉減圧による方法、今一つはHPCIを使う方法だ。いずれの場合も、格納容器圧力を下げるためにベントの開きっぱなしは必要だ。

 RCICの復旧失敗も罪は重いが、HPCIの停止という無用な操作が、3号機の炉心溶融に大きく響いた。これがなければ、故吉田所長の打った乾坤一擲の大博打は功を奏していたであろう。3号機の失敗は、2号機の冷却失敗に繋がり、4号機の爆発を誘った。

 3号機の場合、直流電源は生きていたから、事故時の炉心データの多くは手元にあった。必要な作業ができず、余計な操作を行ったのは、冷静なデータ分析が欠けていたからだ。情勢を充分に理解しないまま、作業を急いだ所に原因がある。その気持ちは分かるが、それができないのが緊急時対応の難しさでもある。

 孫子の兵法に「敵を知り、己を知れば、百戦危うからず」とある。戦場でのおしえは、原子炉の緊急事態でも当てはまる。緊急時とは戦場なのだ。

電気新聞2014年11月19日
 

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東京電力・福島第一原子力発電所事故から7年。石川迪夫氏が2014年3月に上梓した『考証 福島原子力事故ー炉心溶融・水素爆発はどう起こったか』は、福島原子力事故のメカニズムを初めて明らかにした書として、多くの専門家から支持を得ました。石川氏は同書に加え、電気新聞コラム欄「ウエーブ・時評」で、事故直後から現在まで、福島原子力事故を鋭い視点で考証しています。このたび増補改訂版出版を記念し、「ウエーブ・時評」のコラムから、事故原因究明に関する考察を厳選し、順次掲載していきます。