気仙沼市鹿折地区。災害公営住宅が建設され、復興への道を歩み出している
気仙沼市鹿折地区。災害公営住宅が建設され、復興への道を歩み出している

 

◆非日常も冷静さを失わない。若手社員が受け継ぐ思い

 
 宮城県気仙沼市の鹿折(ししおり)地区には今、災害公営住宅が立ち並ぶ。造成地では地鎮祭が行われるなど、再建に向けて一歩踏み出そうとしている様子を見ることができる。しかし、焼き尽くされた地を元に戻すには、7年の歳月では足りないことも実感できる。一帯は土地造成工事現場が広がり、工事用車両の往来に伴う砂ぼこりが舞う。

 東北電力気仙沼営業所の管轄エリア(気仙沼市、南三陸町)の配電ネットワークを網羅する配電線系統盤。そこには、毎日のように配電線路が書き足されたり、消されたりしている。復興工事に伴い、住宅やトンネル、橋梁などが建設されると、そこへの供給ルートを書き加えなければならないためだ。仮設設備の移設や新設が頻繁で、今日までの供給ルートが次の日には変わることも珍しくない。

 同営業所配電課運用グループの小野寺修平は「復興の進展と配電系統の様変わりは比例関係にある」と話す。
 
 ◇熱い気持ちで
 
 小野寺は東日本大震災が発生した翌年の2012年に入社した。東北電力の面接試験を1週間後に控えた日、震災が起きた。予定より約1カ月遅れで臨んだ面接で、「入社したいとの思いがなおさら強くなった」ことを伝えた。電気がどれだけ人々に必要とされているかを、震災を通じあらためて考えさせられたためだ。

 出身は岩手県一関市千厩(せんまや)。子どもの頃、遊びに行くといえば気仙沼だった。17年7月に同営業所に配属されたが、記憶にあった街並みは姿を変えていた。ただ、その光景を「復興が進み、新しい気仙沼が建設されようとしている時期」と前を向く。
 
 ◇何ができるか
 
 石巻工業高校1年のとき、震災に遭った石巻営業所配電技術サービス課の永山佳樹は、自宅に電気が復旧した日の様子を覚えている。「家族から拍手が湧いた。笑顔が戻った」。ライフラインの中で最も早く復旧したのは電気だった。電気情報科で電気を学んでいたこともあり、13年度に入社。16年、同営業所に配属された。

 海岸沿いを見ると、当時の爪痕が随所に残り、まだ復旧が追い付いていないと感じる。そうした被災地の配電設備の保守・保安が現在の業務だ。

 石巻は震災で最も深い傷を負った地域の一つ。永山は、復旧対応に当たった先輩から「思いを持って仕事をしろ」と言われたことを胸に刻んでいる。「非常時には、普段できないことはできない。自分に今、何ができるのか」を問い詰めながら仕事に臨む。

 日常とはかけ離れた災害復旧現場では、「自分に何ができて、何ができないかを把握できなければ、一点しか見えなくなり、前のめりになってしまうかもしれない」。それが作業ミスや事故につながる要因になってしまう。

 小野寺は「細かいことでも個人で判断しないこと」を心掛ける。経験を重ねると、「これぐらいなら自分でできる」と考えがちだが、「災害時には復旧対応に夢中になり、使命感に燃えて“やれる”と思ってしまう。それが不安全な行動につながってしまう。異様な状態だからこそ、一歩立ち止まって考える習慣が大切」だと話す。

 震災後に入社した2人は「電気をつける」という熱い思いを持ちながら、非常時には冷静に対処できるようでありたいと考えている。それは、震災直後の復旧対応を経験した先輩たちが感じたことにも似ている。(敬称略)

電気新聞2018年3月9日