地元との「共存共栄」を重視し、電源開発を進めてきたレノバ。写真は書道家でもある漁業関係者から贈られた書の前に立つ木南社長

再エネ普及、地域とともに

 再生可能エネルギー発電専業の事業会社であるレノバが5月30日、創立20周年の節目を迎える。環境・エネルギーコンサル、リサイクル事業を経て2012年に再生可能エネ発電事業に本格参入した。大規模太陽光(メガソーラー)から始まり、木質バイオマス、地熱、そして洋上風力へと発電事業の領域を着実に広げ、再生可能エネ発電事業者として国内屈指の規模に成長を遂げつつある。「再生可能エネルギー普及の時計の針を少しでも前に進めたい」と話す創業者の木南陽介社長と、CTO(最高技術責任者)として技術部門を指揮する小川知一常務執行役員・エンジニアリング本部長への取材を中心に、これまでの歩みと、将来展望を紹介する。

20年の歩み/「半歩先を」脈々と受け継ぎ

 再生可能エネルギー電源の開発・運営を通じて成長軌道をたどるレノバ。その原点は、大学で環境政策論・環境物質論を専攻した木南氏が、卒業後、マッキンゼーを経て、2000年の「ごみゼロの日(5月30日)」に設立したベンチャー企業だ。

 当時の社名はリサイクルワン。環境・エネルギー分野の調査・コンサルティング事業会社として、数人でスタートを切った。

 そこで培った人脈、知見を足掛かりとして、06年にリサイクル事業参入を果たし、国内で容器包装リサイクル工場を2カ所立ち上げた。興味深いのはこの時すでに、今に連なるエンジニアリング思想が根付いていた点だ。リサイクル工場は木南氏が初めて手掛けた大型投資だったが、リスクを恐れず、当時欧州で実用化が進んでいた最新のプラスチックソーティング技術を投入した。

 「既存の技術を使うのは手堅いけれど、面白くない。今あるものを良くするために半歩先、一歩先の技術を取り入れたいと常に思っている」(木南氏)。この志向は、その後の再生可能エネ開発にも脈々と受け継がれていく。

 次に大きな転機になったのが、11年3月11日の東日本大震災だ。エネルギー政策が転換を迫られ、木南氏がいずれ参入をと考えていた再生可能エネの注目度が高まった。FIT(再生可能エネルギー固定価格買取制度)導入も決まり、海外の再生可能エネ、FITに関して知見を有していたことから、他社に先駆け12年から本格的に事業を開始した。

 続く13年12月には社名を「レノバ」に変更し、再生可能エネ専業の事業会社として新たにスタートを切った。同社が開発した初のメガソーラー水郷潮来ソーラー発電所(1万5300キロワット、茨城県潮来市)が稼働を始めたのはその2カ月後だ。

 再生可能エネ事業参入から8年余りが経ち、20年5月末時点でレノバが運営するメガソーラーは11カ所・31万キロワット、バイオマスは1カ所・2万キロワットまで拡大した。建設・工事中案件、開発中案件を加えると、同社が関わる国内外の案件の規模は180万キロワットに達する。

 現在の社員数は約200人。太陽光、木質バイオマス、地熱に続いて、今後は秋田県由利本荘市沖での洋上風力発電事業の検討が本格化する。組織が拡大しても創業期の姿勢からぶれることなく、再生可能エネ分野の最先端を歩み続けている。

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