南極での経験を語る内山さん(左)と曽宮さん
南極での経験を語る内山さん(左)と曽宮さん

 関電工から極地研究所の第59次南極地域観測隊越冬隊に派遣されていた内山宣昭さん、第60次隊夏隊に参加していた曽宮優一さんがこのほど帰国した。2人は設営隊の機械担当として昭和基地の電気・空調設備の点検・保守管理などを実施。妻子を日本に残し、生命の危険と隣り合わせの環境で仕事をやり遂げ「帰国した時は号泣しました」(曽宮さん)。そんな2人から南極での思い出を聞いた。
 

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 内山さんは2017年11月~今年3月にかけて第59次隊越冬隊、曽宮さんは18年11月~今年3月にかけて第60次隊夏隊にそれぞれ参加。電気・空調設備の点検・保守管理以外にも、建設中の基本観測棟の電気工事や太陽光発電パネルの更新などに携わった。
 

氷点下30度の中での配線作業。頬が凍傷になった

 
 基本観測棟の建屋内に暖房器具はなく、氷点下30度近くでの配線作業が待ちうけるが、手袋をはめたままではできない。部屋で事前にケーブルを暖めて現場に持ち出し、スピード勝負で皮むきなどを行う。現場での作業時間を短縮する工夫を施しても「吐いた息が凍り、頬が凍傷になった」(内山さん)。

 第58次隊夏隊に続いて2回目の南極行きとなった内山さん。設営隊は電気関係だけでなく、基地の運営維持全般に関わる。夏場は重機を使うため工事の物量が多く、資材搬入など専門外の仕事も多い。昭和基地近くに接岸した南極観測船「しらせ」まで人海戦術でホースをつなぎ、三日三晩かけて自家発電設備のタンクに燃料を補給する作業も行った。

 越冬期間中は維持管理がメインの仕事となり「冬ごもりの準備が一通り終われば自分の作業(電気工事)に没頭できる」(内山さん)。発電機や観測動線を照らす外灯のケーブルを補修。昭和基地で使う水をくみ上げる融雪ポンプの復旧なども手掛けた。

素手でケーブルの接続作業を行う内山さん
素手でケーブルの接続作業を行う内山さん

 

出発前は不安ばかり。ネットを介しての支援や家族の励ましが支えに

 
 曽宮さんは基本、観測棟1階の内装工事、太陽光パネルの交換、新設する風力発電機のケーブル工事が主な仕事。観測棟の改修工事にも携わった。


 初の南極派遣ということもあり「出発前は不安しかなかった」が、与えられた任務を無事完遂。白夜になると「いつまでも仕事ができる」と時間感覚に狂いが生じたことが思い出だ。

 昭和基地はインターネット環境が整備されている。技術的に分からないことがあれば関係職種の担当者やOBなどに電話やメールで指示を仰ぐ体制を整えている。家族とも連絡をとれるため「妻や子どもから『がんばってね』と励ましの言葉をもらい勇気付けられた」(曽宮さん)。

 

任務を終えて

 
 南極での任務を終えて、内山さんは「異なる職種の人だと仕事に対する着眼点も違う」と実感。曽宮さんは「作業時間や人が限られるためコミュニケーション能力が必要だ」と話す。今後は南極で培った知識や経験を国内の現場でも生かすとともに、後進にも継承する考えだ。

 1986年から観測隊に社員を送り続ける関電工。現在は松嶋望さんが第60次隊越冬隊に参加している。

電気新聞2019年5月24日