東日本大震災は網地島(あじしま)と田代島にも甚大な被害をもたらした(写真は石巻市街)
東日本大震災は網地島(あじしま)と田代島にも甚大な被害をもたらした(写真は石巻市街)

 「あれ、ここってどこだったかな」。東北電力石巻営業所配電技術サービス課副長の佐藤誠二(現・仙台南電力センター配電テクノセンター課長)は、眼下に広がる光景に違和感を覚えた。頭の中に浮かぶ地図と現実が全く重ならない。

 東日本大震災の発生から1週間が経過した2011年3月18日、ヘリコプターに乗って宮城県北部の緊急巡視を行った際のことだ。気仙沼から東松島まで、上空から沿岸部をなぞるように巡視する。浸水で島のようになってしまった沿岸部。海の中に傾斜しながらぽつぽつと立つ電柱も見える。津波の爪痕はすさまじく、家々をなぎ倒し、地形そのものを変えてしまっていた。

 あまりの被害の大きさにうろたえる暇もなく、集めたデータの確認を始めた佐藤はあることに気が付く。石巻営業所が抱える離島の網地島(あじしま)と田代島(たしろじま)。牡鹿半島の西に浮かぶ両島と本土を結ぶ海底ケーブルが津波で引き抜かれ、流失している。それは両島への唯一の供給手段が途絶えたことを意味していた。
 
 ◇営業所が孤立
 
 3月11日午後。石巻営業所配電技術サービス課技術長の久光敬司(現・岩沼電力センター配電課副長)は、女川原子力発電所PRセンターにほど近い石巻市前網浜地区で配電線改修工事の指揮を執っていた。石巻市街で供給支障が発生したという連絡を受け、同地区周辺に散っていた配電課員らに移動を指示。市街に戻ろうと移動を始め、鮫浦地区の海岸沿いを走っているさなかに経験したことのない強い揺れに襲われた。

 道路のアスファルトと側溝の境目がピアノの鍵盤のように上下し、車はものすごい勢いで弾む。普通には走れず、その場でいったん停止。目の前の民家では、壁がぼろぼろとはがれ落ちていた。

 地震時、佐藤は供給支障発生の報を受け、高所作業車に乗って営業所を出たところだった。営業所はエリア内全域が停電に陥った上、建物自体も津波に襲われる。構内は1メートルほどの高さまで浸水し、水をかぶった車両約半数や非常用バッテリーが使用不可能になった。営業所が位置する市中心部は南を海、北を運河、東西を川に囲まれた地形。そのため、津波後もなかなか水が引かず、営業所は完全に孤立した。

 周囲が刻一刻と暗くなる中、所内では1日でも早く電気をつけるという思いの下、佐藤ら所員が一丸となっていた。唯一生きていた小型発電機を使い、最低限の明かりを確保するとともに無線を充電。非常対策会議や安否確認に取り組んだ。
 
 ◇闘いの始まり
 
 翌日の午前5~6時頃、避難した中学校跡で一晩を過ごした久光は夜明けとともに動き出した。県道220号線を使い、女川町内に入る。さらに営業所を目指し、冠水した道路を迂回(うかい)しながら進むものの、孤立した営業所にはたどり着けない。そこで久光は市街から北西方向の蛇田地区に位置し、保安電話がある社員寮を目指した。

 午前中には寮に到着し、同じく集まっていた他の社員とともに保安電話を使って情報収集に当たった。しかし、連絡手段が絶たれた営業所は、どのような状況かわからない。そのため、なんとか1人でも営業所に戻ろうということになり、久光は営業所に向かった。途中、救助活動を行っていた地域住民の協力を得てカヌーに乗せてもらうことで、なんとかたどり着いた。

 「正直、何から手をつけてよいのか分からなかった」と佐藤は振り返る。それでもできることを一つ一つやるしかなかった。非常災害用のボートを使い、営業所内の所員が寮に移動。津波被害のない内陸部の状況把握を開始した。ボートが営業所に戻る際には燃料や食料を積み込み、少しずつ復旧体制を整えていった。

 復旧を進め、徐々に停電範囲を縮小していく中、営業所内には解決しなければならない課題が生まれていた。抱える離島、全5島への供給も本土と同様に停止。一刻も早く電気を送る必要があった。避難勧告が出された3島は住民が不在だったが、残る網地島と田代島にはいまだ多くの住民が暮らしていた。

 18日に佐藤が行った緊急巡視によって確認されたのは、海底ケーブルが流失しているという状況。復旧工事がすぐにでも必要だった。通常、海底ケーブルの張り替え工事には年単位の期間を要する。ケーブルが受注生産であることに加え、役所や漁業組合との調整などを必要とするからだ。

 もちろん、工事完了まで電気の供給を待つわけにはいかない。ならば、どうするか。答えは明白だった。完了まで応急電源を使って両島の明かりをつなぐしかない。石巻営業所の約4カ月にわたる闘いが始まった。
 

 
 多くの尊い命を奪い去るとともに、電力設備にも甚大な被害をもたらした東日本大震災から11日で8年を迎える。経験のない激震と巨大津波は、宮城県石巻市・牡鹿半島の西に浮かぶ網地島と田代島も容赦なく襲った。海底ケーブルが流失し両島への供給手段が絶たれる中、東北電力の社員は離島の明かりをつなぐため奔走する。半年近い復旧工事に身を投じた社員たちの闘いを追った。(敬称略、事業所は11年3月時点の名称)

電気新聞2019年3月8日

「記憶を紡ぐ-つないだ離島のあかり」は、現在連載中です。続きは電気新聞本紙または電気新聞デジタル(電子版)でお読みください。