北海道胆振東部地震で今までにない揺れに見舞われた苫東厚真発電所
北海道胆振東部地震で今までにない揺れに見舞われた苫東厚真発電所

 昨年9月6日午前3時7分。北海道電力苫東厚真発電所(石炭火力、3基計165万キロワット)の所長を務める斉藤晋は、北海道厚真町内の社宅アパートで眠っていた。寝室のベッドで目を覚ますと、猛烈な揺れと地響き。かなり強い地震だ。ベッドにしがみついてから、起き上がろうとしたらベッドから投げ出された。

 他の部屋では、倒れたタンスが向かい側の壁に突き刺さっている。冷蔵庫やタンスの中身が飛び出し、割れた照明が床に落ちている。発電所で何らかの設備トラブルが起きているだろうことは容易に想像がついた。
 
 ◇限られた情報
 
 「1号機だけは動いている」。設備状況は、発電課長の小貫晃司から電話ですぐに報告された。斉藤は「1号機だけでもできる限り動かしてくれ」と指示を出した。

 「苫東厚真が止まれば北海道の電力需給が相当厳しくなるのは確実。設備を守るためには即刻止めるべきだったのだろうが、なんとか1基だけでも電気を送ることができれば、という一心だった」。斉藤はそう振り返る。地震時、苫東厚真が道内の電力需要の半分近くを賄っていた。

 停電もあり、地震のニュースがなかなか斉藤に集まらない。本店の火力部から、震源地が厚真町であることや大津波の心配がないことなど限られた情報を入手した。

 長期戦を覚悟し、倒れたタンスの中から着替えを引っ張り出してかばんに詰め込んだ。暗かったし、焦っていたのだろう。発電所で取り出すと、夏なのに冬物の「ヒートテック」ばかりだった。

 斉藤を含め発電所の幹部はほとんどが近くの社宅アパートで単身赴任中。発電所に向かおうと、斉藤は次長の佐藤裕、小貫と一緒に車に乗り込んだ。

 停電で辺りは漆黒の闇。携帯電話は通じない。道路ではあちこちで地割れが起き、電柱が傾いている。途中で通過した橋は前後の道路が陥没し、大きな段差ができていた。その橋は間もなく通行禁止になった。内陸側にある社宅アパートから海側の発電所までは20キロメートル近くある。注意しながら先を急いだ。
 
 ◇脳裏に“津波”
 
 地震時、発電課副長の曽我部公男は休憩中だった。苫東厚真の中央操作室(中操)は3交代勤務で、各班11人。曽我部は午後9時半~翌日午前8時10分の当直長だった。

 休憩に入ってから約1時間後。激震は「夢かと思った」。揺れが収まらず、だんだん現実感を取り戻す。中操に駆けつけると、制御盤の警報音が鳴り響いていた。「戦闘機のジェットエンジンのよう」というボイラー配管からの蒸気漏れの音も、不気味に中操に届いていた。

 制御盤に目をやると、2、4号機が自動停止している。1号機は動いていたが、出力が低下している。出力に見合った燃料供給量に絞るなどして、なんとか発電を続けようと試みたが、やがて息絶えた。地震発生から18分後の午前3時25分だった。

 このとき曽我部の脳裏に浮かんだのは、津波だった。東日本大震災の津波で甚大な被害を受けた東北電力原町火力発電所を見学していたからだ。大津波が来ないことを確認し、ひと安心した。

 午前4時すぎ、斉藤ら幹部が発電所に到着した。所内は最低限の明かりだけ。まだ蒸気漏れの音が聞こえた。余震が続く中、真っ先に始めたのは所員の安否確認。長い“闘い”の始まりだった。(敬称略)

◆ ◆ ◆

 昨年9月の北海道胆振東部地震で最大震度7の揺れが厚真町を襲い、同町内にある苫東厚真発電所は被災した。発電所の全面復旧までの約1カ月間、どのようなことが現場で起きていたのか取材した。

電気新聞2019年2月12日

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