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バナー_石川迪夫_福島原発

電気新聞2018年7月20日掲載のコラムを加筆・修正しています

 事故から7年半余り経つが、日本にある38基の原子炉で動いているのはわずか9基[編注:原子力安全推進協会ホームページ(2018年10月26日現在)に基づく。廃止、建設中は除く]だ。極端に少ない。そもそも東日本大震災で停止した原発の数は、津波の被害を被った5発電所、15基だけであった。それ以外の39基は、みな正常な運転状態にあった。

 日本の原発が停まったのは、法が定める年1回の定期検査の申請を、役所が受け付けなかったからだ。政府の指導で、長年の慣例となっていた毎年の定期検査制度を――技術の現状から見て、時代遅れの無駄な制度との意見も多いが――役所が勝手に破った。定期検査が受けないと、発電所は運転できないルールになっている。

 慣例とは不文律だ。不文律を履行しないのは一種の詐欺行為だ。原子炉施設の停止に関わる条項が法に定められたのは、事故後の2012年秋であるから、当時は役所に停止権限はなかった。定期検査の申請を受理しなかったのは、役所のサボタージュといえる。

 法治国家とは、法律に従って国家権力を行使する国のことだが、法的根拠なしに検査申請を許可しなかったのは国家権力の乱用だ。いじめ、パワハラの類いでもあるが、法学者も人権問題にうるさいマスコミも、事が原子力となると途端に口をつむぐから不思議だ。

 元来日本の国は、確信のないままに徒に狼狽して、原子炉を停止させる悪い性癖がある。古くは米スリーマイル島(TMI)原子力発電所事故で、当事者の米国ですら停めてもいないのに、日本の安全委員会は動揺して、TMIと同じ型である加圧水型軽水炉(PWR)の運転停止を命じた。停止が解けたのは、内田調査団の帰国後であった。

 チェルノブイリ事故後の5年、当時のウクライナ首相はIAEA総会に出席して、「ウクライナにある旧ソ連製の黒鉛炉は安全上の問題があるが、発電所を停止することは貧しい国民の生きる道を奪うことになる、どうか運転継続を認めてほしい」と、苦悩の表情あらわに訴えた。総会はこれを了とした。

 福島事故後、停止中の原発の一部が、一時動いた。関西の電力不足を懸念しての野田元総理の英断であった。今後の運転の見通しに脚光が差したと喜んでいたら、安倍内閣となって元の木阿弥に帰った。原発の運転停止は政治家や役人の気分次第、国としての見識や信念がない。

 規制委員会が発足した当初、田中俊一委員長は、新基準での審査は「並行して進め、半年で許可」と述べた。だが、合格した発電所の審査は、平均3.5年も掛かっている。

 この点を問われた委員長は、記者会見で「半年とは相場観での発言」「実際の審査期間は言えない」と豹変した。無責任極まる話だが、安全行政は彼にとっては初めての仕事、責任は、素人を委員長に起用した政府、国会にある。

 昔の安全審査は、目的が原子炉システムの安全にあったから、経験が十分にある同型炉は信頼が置けるので、半年ほどで結論が出た。だが今の審査は、発電所の安全に目標があるのではなく、敷地地盤の災害評価に主体がある。ここが違うところだ。規制委員会は発電所の安全を認めるに先だって、敷地の地震加速度が担当委員の思い描く数値になるまで審査を幾度でも繰り返すという。これは審査に名を借りた自説の強要、公正な審査とは言えない。

 昔の申請書は、精々数百ページ程度のものであったから、誰でも読めた。勉強すれば理解できた。だが今は数万ページ、膨大過ぎて一人では読めないし、その全体を完全に理解する事はほぼ不可能だ。審査は長期化する上、安全全体を把握できる役人はいなくなる。そのせいか、新基準に適合するために使われた費用は、原子力の安全対策より、地震対策や地盤改良といった敷地の工事に偏っている。

 これが米国なら、電力会社は政府相手の損害賠償訴訟を起こすであろう。だが日本は、誰も、何も言わない。言えばマスコミの餌食となり、世論の袋だたきに遭うだけと知るからだ。その気持ちは理解できるが、外国人は無気力と言う。

 日本の民主主義は細かいことには小うるさいが、国家の大事となると、途端に、見猿、言わ猿、聞か猿と化す。お上に逆らうのは逆賊との古い観念が、日本国民の尻尾に、まだ残っているのかも知れない。この国民的な保身術が、国家の衰えを招く。

 原子力は未来を託す人類の知恵、その一番手が原子力発電だ。福島の失敗は残念だが、発電再開を早めないと、日本の優れた知的財産、運転管理技術が失われるばかりでなく、経済的にも衰退する素地を持つ。衰えた後での復活が至難なことは、近隣諸国の歴史を眺めれば容易に分かろう。

電気新聞2018年7月20日

※次回は11月22日に掲載します。
 


 

石川迪夫氏が2014年3月に上梓した『考証 福島原子力事故ー炉心溶融・水素爆発はどう起こったか』は、東京電力福島第一原子力発電所事故のメカニズムを初めて明らかにした書として、多くの専門家から支持を得ました。石川氏は同書に加え、電気新聞コラム欄「ウエーブ・時評」で、事故直後から現在まで、福島原子力事故を鋭い視点で考証しています。このたび増補改訂版出版を記念し、「ウエーブ・時評」のコラムから、事故原因究明に関する考察を厳選し、再掲しています。