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バナー_石川迪夫_福島原発

電気新聞2018年5月21日掲載のコラムを加筆・修正しています

 福島事故の衝撃は海外を走った。驚愕は世界でも大きかった。「あの技術大国、日本で原子力事故が起きた」というのがその理由だ。その影響は今も残っているが、7年余り経った今日、その度合いは大きいとは言えない。ざっと、世界の状況を眺めておこう。

◆イタリア
 最悪の影響を被ったのはイタリアだろう。余り知られていないが、イタリアは日本やドイツよりも、原子力発電の先進国である。ガリグリアーノ発電所は初期のBWRだが、初発電は日本の東海発電所(英国型黒鉛炉)より数年古い。問題は政情が不安なことだ。米スリーマイル島(TMI)原子力発電所事故で世論が治まっていないところへ、旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所事故が起き、放射能がアルプスを越えてドロミテ地方を汚染したことから国民投票となり、原子力発電の使用を止めた。
 以降、苦節30年、エネルギー不足のイタリアは、折からの原子力ルネサンスブームに乗って原子力発電の復活を目指していたが、福島事故が起き、再開を諦めた。その理由は、日本ですら事故を起こした、とても我々に原発は使いこなせない、との諦めという。2000年前に強大なローマ帝国を築いた強弩の末裔(きょうごのまつえい)の決断は、科学にはなく、情緒によるものだった。

◆台湾
 台湾への影響も大きい。台湾の原子力発電の歴史は、アジアでは日本に次いで古い。この老舗の台湾で、2025年には原発がなくなるとの決定がなされた。
 台湾の政治情勢は、大陸から逃れて来た蒋介石総統の国民党と、昔からの台湾人を中心とした民進党の、二つの対立が根底にある。前者が原発推進なら、後者が反対となるのは自然の理だ。
 福島事故による反対運動に抗しかねて、民意に譲歩した馬英九前総統(国民党)の苦渋の決定が、日本をまねた「原発寿命40年」であった。この決定に悪乗りしたのが蔡英文現総統(民進党)だ。40年を厳格に守る法律を作ることで、台湾の老舗原発は2025年に全てが40年を迎えることとなった。代替の電力は、バーシー海峡を吹く風力というのだが、肝心の風力発電設備は影も形もなく、このまま行けば台湾の産業全体が心配という。

◆韓国
 この影響が韓国にも飛び火した。古里原子力発電所1号機の廃炉は朴槿恵大統領時代の決定で、その理由はよく分からないが、近隣国の原子力情勢を気にした見せかけ姿勢との噂まである。文在寅大統領になってこの決定がエスカレートして、建設中の古里5、6号機の廃止提案となったのが昨年春だ。この提案は有識者会議で否決されたのだが、その代わりに「原発寿命40年」が定められた。一時の政治的変化と思いたいが、韓国の原発政策はこのところ大揺れだ。ちなみに韓国は、原発を輸出したUAEとの間では、60年の運転協定を結んでいる。この辺りはちぐはぐなのだが、論評するマスコミはない。

◆米国
 逆に、影響が見られない代表格が米国だ。原子力は、政策も運営も、事故前と変わりがない。ドンと構えている。事故当初こそ4号炉の爆発を気にして、80キロメートル圏内への米国民立ち入りを禁止したが、それが誤解と分かれば反省も行動も早かった。トモダチ作戦が2011年3月25日頃から活発になったのがその現れだ。

◆欧州
 欧州は国により様々だが、全体としては落ち着いてきている。
 東京駐在の英国首席科学顧問は、3号機爆発の噴煙高さから計算して、東京の放射線災害はないと判断し、これを大使館全員に伝えて妄動を戒めた。この言葉に従い、英大使館員で東京を離れた者は1人もいなかったという。
 この話を拙著に書いたところ、フランス大使館筋から伝言があって、同大使館も同様に落ち着いており、東京から逃げ出した者はいなかったとの事であった。両国共に原子力推進の意気込みは、今も変わらない。
 スウェーデンは、TMI事故を受けて1980年に国民投票で脱原発政策を決定したものの、閉鎖された原子炉は少なく、全廃するとしていた2010年にその政策を見直すなど、原発問題に対しては冷静な態度を取っている。昔は、度々トラブルを起こして我々を困らせたスペインも、確かめたわけではないが、同様に冷静らしい。
 この反対がドイツだ。2022年には全原発が停止し、電気は再生可能エネルギーで代替するという、エネルギー転換政策が始まる。福島事故では、大使館員の多くが国外に避難し、ルフトハンザ航空は東京行きを欠航した。ドイツで語られる福島のうわさにはフェイクニュースが多いと、川口マーン惠美さんの著書『復興の日本人論 誰も書かなかった福島』にある。
 世論が原子力発電の続行か停止に分かれて揺れ動いた国も多かったらしいが、スイスを代表にとれば、今は元に戻って、再稼働しているという。その他のヨーロッパ諸国も、事故の影響からおおむね脱却しており、多くは原子力活用と聞く。

◆中国とロシア
 中国ロシアは、福島事故を歯牙にも掛けず、原発の増設と売り込みの拡大一路を進んでいるように見える。その影響で揺れ動く一帯が、中東アラブ諸国だ。イランのブシェール発電所の運転に刺激されて、原発建設を強く思考する国がアラブ諸国には少なくない。だがこれは、イランとアラブ諸国の関係での話、福島事故とは別の問題だ。
 
原子力政策に福島事故の影響が残る国は意外に少ない
 
 このように眺めて来ると、福島事故の影響が今に残る国は意外に少ない。原子力に対する考え方は、科学的、現実的に戻っている。

 国際原子力機関(IAEA)は、TMI事故では過酷事故の存在を認めて、発電所の安全設計指針を改定した。チェルノブイリ事故では、人が関与する当然の配慮や行為を安全文化と名付けて、その好例の実践を鼓吹した。だが、福島事故の反省は、事故7年半を過ぎても、まだ行われない。

 日本政府は世界一厳しい新基準と自画自賛の発表をしているが、世界でそれを踏襲した国はないし、参考にした国もない。それは、日本の新基準がIAEAの国際安全基準と本質的に変わるとことはないことに加え、その実施が冗漫で無駄が多く、莫大な費用が掛かり過ぎるからだ。安全は従来のまま、それが今日の世界での大方の見解だ。

 世界は日本に智恵を貸そうとした。だが、日本の事故調査は遅く、情報は制約されて少なく、待ちくたびれて先へ進んだ。その結果、日本の原子力は、世界と大きく乖離してしまった。

 世界と乖離した時、必然的に生じる悲哀と辛酸を、我々は前大戦で味わった。熟慮すべき時であろう。

電気新聞2018年5月21日
 


 

石川迪夫氏が2014年3月に上梓した『考証 福島原子力事故ー炉心溶融・水素爆発はどう起こったか』は、東京電力福島第一原子力発電所事故のメカニズムを初めて明らかにした書として、多くの専門家から支持を得ました。石川氏は同書に加え、電気新聞コラム欄「ウエーブ・時評」で、事故直後から現在まで、福島原子力事故を鋭い視点で考証しています。このたび増補改訂版出版を記念し、「ウエーブ・時評」のコラムから、事故原因究明に関する考察を厳選し、再掲しています。