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バナー_石川迪夫_福島原発

電気新聞2017年4月24日掲載のコラムを加筆・修正しています

 前報では、8兆円に膨らんだ福島の廃炉費用の根拠の曖昧さについて述べた。その基となる廃炉計画は、政府と東電の合議で作られたもので中長期ロードマップと呼ばれる。作成されたのは、事故後1年も経たぬ2011年末のことだ。その大要は、事故後15年を目途に溶融炉心を取り出し、40年後に完了を目指すというものだが、果たして今考えて適切な計画かどうか。まずは諸外国の前例から調べて見る。

 米スリーマイル島(TMI)原子力発電所では、固化した溶融炉心の約98%が砕かれて原子炉容器から取り出されたのが、事故後約15年の1995年頃のことだ。しかし、発電所内部の汚染レベルは今なお高いので、事故後40年を経た今日でも、廃炉工事はまだ始まっていない。残りの約2%の溶融炉心が、格納容器の全体に付着しているので、線量が高くて手が出せないからだ。

 旧ソ連のチェルノブイリ原子力発電所の石棺は、その全体を覆う移動式カバーを2016年に完成させた。今後60年掛けて溶融炉心を取り出す計画というが、工事方法の目安は立っておらず、費用計画に至ってはないに等しい。

 英国セラフィールドにあるウインズケール炉で、炉心溶融が起きたのが1957年だから、もう60年も昔の話だ。英国政府によれば、この炉心を取り出して廃炉を終えるのはさらに100年後だという。

 ご覧のように、炉心溶融が起きた原子力施設が、40年で廃炉を完了した前例はない。それは、遠隔操作機械を使っての溶融炉心の大雑把な撤去は可能であっても、跡地が使えるまでの廃炉を完了するにはきめ細かい放射能除去が必要であり、それは人手に頼る以外に方法はないからだ。

 従って廃炉を急げば、いきおい人海戦術に頼らざるを得ず、その副産物として、無用の作業員被曝と膨大な人件費を伴う。その費用が膨らめば、虚像の8兆円も、現実となりかねない。

 ロードマップは事故直後の混乱期に作られたものだ。これまで3度見直されているが、工程上の見直しはまだないという。40年の廃炉が無駄な費用と大量の被曝を伴うのなら、急ぐ理由は何もない。急がれるのは,工程の見直しであろう。

 工程以上に、福島の廃炉が抱えるより重大な問題は、取り出された溶融炉心の行き先である。ロードマップには、処分場はおろか、仮置き場所の名前すら示されていない。世論の反発を恐れて場所を決定できないからで、政治のだらしなさが現れている。

 刈り草に付着した軽度の汚染までも毛嫌いする日本の社会だ。溶融炉心を、おいそれと受け入れる先がないのは、政治家も、役所も、国民も、みな知っている。知っているから、具体的な決定は先送りして、処分地はあると仮定の許に作業計画を立て、その計画に従って作業だけは忠実に実行してゆく。恐ろしいのは、その結果だ。取り出された溶融炉心の行き先だ。

 静かに現実を直視すれば、原子力発電に使った核燃料に残る放射能、いわゆる高レベル廃棄物の処分地はまだ決まっていない。いわんや事故で出来た溶融炉心ともなれば、国民はより以上の不安感や嫌悪感を抱くであろう。この不安は、福島の廃炉では避けて通れない。

 米国でも、TMIの溶融燃料の行き先は、未だに難航している。当初予定されていたニューメキシコ州の地下埋設施設での処分は、近隣のリゾート地サンタフェに別荘を持つハリウッドの有名人達の反対で宙に浮いた計画となり、今はアイダホ州の砂漠で仮保管状態にある。福島の溶融炉心も、廃炉を急げば、同じ轍を踏む。だが日本には、アイダホの広大な砂漠はない。

 工事に先だっての、溶融炉心の行き先決定は、廃炉の必須条件だ。これは国の仕事、政治家の出番だ。この決定がない限り、廃炉工事は進めてはならない。なぜなら、行き先についての反対が口火となり、解決不能の社会的反対運動に変貌するからだ。その例としては、人口過密な市街地と化した飛行基地の移転問題が、時間が経つにつれて基地反対運動に変質した普天間・辺野古の問題が挙げられる。

 廃炉工事もしかり。事故の跡地を復元する問題が、溶融炉心の行き先に変質すれば、解決は長引き、廃炉工事は進まなくなる。司法に訴える形となれば、判決によっては工事中断も起きよう。

 工事が中断すれば、解体途中の汚染物質は、不安定な工事現場で宙ぶらりん状態となる。動きが取れなくなった現場,これを安全な状態とは言えまい。この状態をテロに狙われたら、危険この上ない話だ。日本は、原子力船「むつ」が行き場のない漂流をした前歴がある。決して思い過ごしと言えないのだ。

 ではどうすべきか。発想を変え、廃炉方法を解体撤去から安全隔離に切り替えればよい。廃炉には、埋設隔離、安全隔離、解体撤去の3つの方式がある。安全隔離とは、放射性物質を発電所の中で隔離して安全に管理し、発電所の外部は放射能フリーの状態にして開放する方法だ。

 具体的には、発電所の周辺をある程度の幅を持たせて、一般地域との境界とする。溶融炉心のある発電所は、解体撤去が実施されるまでの期間安全隔離とし、放射線、放射能についての研究場所として活用する案だ。

 放射能研究所が動き出せば、国際研究所構想など、夢ある話も実現しよう。これが実れば、福島第一の周辺区域は国際都市に変貌しよう。混乱から夢へ、発想転換で無駄をなくして、廃炉を有益に利用していこうではないか。

電気新聞2017年4月24日
 


 

東京電力・福島第一原子力発電所事故から7年。石川迪夫氏が2014年3月に上梓した『考証 福島原子力事故ー炉心溶融・水素爆発はどう起こったか』は、福島原子力事故のメカニズムを初めて明らかにした書として、多くの専門家から支持を得ました。石川氏は同書に加え、電気新聞コラム欄「ウエーブ・時評」で、事故直後から現在まで、福島原子力事故を鋭い視点で考証しています。このたび増補改訂版出版を記念し、「ウエーブ・時評」のコラムから、事故原因究明に関する考察を厳選し、順次掲載していきます。