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バナー_石川迪夫_福島原発

電気新聞2016年8月9日掲載のコラムを加筆・修正しています

 福島原子力事故の流れを復習すると、大地震、大津波からほぼ1日たった3月12日15時頃に1号機に爆発が起き、二番手の3号機の爆発が約3日後の14日11時で、三番手の2号機の炉心溶融が同日の22時頃のことであった。4号機の爆発は、3号機からの水素ガス流入による巻き添え事故であるから、本論からは外した。

 ところで、設計が同じBWRであるのに、なぜ1~3号機の溶融・爆発の時刻がこれほどまちまちで、3日間も差が生じたのか。その理由は、実に、安全設備の働きの差にあった。その辺りの事情を探ってみよう。

 地震から津波襲来までの約50分間、原子炉は自動停止し、一斉に低温停止に向けた冷却状態に入っていた。ここまでは1~3号機共に経過は同じだ。

 津波の襲来によって、各機の足並みに乱れが出た。非常用発電設備だけでなく、バックアップ用の直流電源までが津波で被水したのは同じだが、この被害の大小が事故経緯を様々に変えた。津波によって、電気という電気が発電所からなくなり、建物の中は真っ暗、制御室の照明もなければ計測器の信号もない、運転員に取っては訳の判らない、全くの手探り状態となった。

 ここで1号機が隊列から外れた。1号機では、隔離時冷却器(IC)という名の熱交換器を使って崩壊熱を放熱する仕組みになっているが、停電で熱交換器前後の弁が開かず、ICが使用不能となり原子炉の冷却ができなくなった。このため圧力容器の水は崩壊熱で蒸発し、容器が空っぽになったのが11日の深夜である。

 ところが、同機が爆発したのは翌日の15時であるから、この間の半日以上の間は、原子炉は水無し状態のままで溶融もせずに頑張っていたことになる。この事実は、炉心から水がなくなれば溶融が始まるとする、過酷事故計算のシナリオとは、大きく違っている。原子炉は、しぶとく安全を保つ耐力を持っている。

 1号機が溶融・爆発に至った原因は炉心冷却の失敗にある。上述の安全冷却装置ICの不作動にその責が求められる。対照的に、2、3号機の安全設備はよく働き、ほぼ3日間原子炉の冷却を確保していた。安全設備の名は原子炉隔離時冷却系(RCIC)といって、格納容器の中にたくわえた水(SC)を原子炉に送って冷却する装置で、ポンプの動力は電気だけではなく、崩壊熱が発生させる原子炉蒸気も使えるよう作られている。この点が1号機と違っていた。

 2号機の場合、このRCICが丸3日間も、働きづめに働いた。RCICが働いている間は、炉心はSCからの水で満水状態にあり、原子炉は冷却状態にあった。RCICが停止したのが14日の昼ごろで、炉心が溶融したのは、10時間ほど後の同日22時頃だ。

 なお、RCICの設計運転時間は8時間である。タービンを駆動させる蒸気条件が劣悪であるために、作動時間は短い。だが、それが3日も働いたのは大健闘、さすが日本製品と称賛できる。

 3号機は直流電源が生きていたから、2号機より良好な運転環境にあった。RCICの制御が機能し原子炉水位は適正で、炉心は安定した冷却状態にあったが、一日後の12日昼ごろ自動停止した。その後、高圧注水系(HPCI)が計画通り自動起動したが、容量が大きいので原子炉が冷え過ぎてタービンを動かす蒸気圧力が低下して、12日夕刻には、ポンプは回転しているものの水をくみ入れていないという、注水機能を失った状態に陥った。以降3号機の炉心状況は、懸命な運転員の操作により複雑に推移したが、最終的に溶融・爆発に至ったのが14日11時頃であった。2号機より短命であったのは皮肉だ。

 以上総合すると、1号機はIC、2、3号機はRCICと、いずれも安全設備の停止が端緒となって溶融・爆発に至ったことが分かる。安全装置の終焉が溶融・爆発を招いたといえる。その反対に、安全装置が働いていた期間、安全設備は設計通りの安全機能を発揮し、炉心は冷却状態にあった。

 この結論は重要だ。原子力に厳しいマスコミの論調は、原子力安全設備は役立たなかったような報道を流すが、それは正しくない。電気がなくても安全設備は設計以上の働きをした。電気があれば、より多くの安全設備が働き、より確実に原子炉の安全は確保されていた事実は、上述の様に明白だ。

 今回の教訓は、既設の安全設備は全て設計通り、いやそれ以上に、働いたという事実の認識にある。関係者はこの実績に自信を持つことだ。

 反省点は、停電の回復を早急に行っていればRCICによる炉心冷却が継続できたから、2、3号機は炉心溶融・爆発を免れ得た点だ。停電が10日も続いた事実に、電力関係者は自省の目を向けるべきであろう。

 災害援助の鉄則は、必要なところに必需な品を緊急補給することだ。水のない所には水を、食のない所には食を、だ。電気を失った福島に、なぜ電気の緊急補給を国は命じなかったのか。政府が、駆逐艦1隻を発電所に緊急派遣していれば、事故状況は大幅に変っていた。それは、電気が回復した3月23日以降の現場作業環境が急速に改善された有様を見れば判る。

電気新聞2016年8月9日

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東京電力・福島第一原子力発電所事故から7年。石川迪夫氏が2014年3月に上梓した『考証 福島原子力事故ー炉心溶融・水素爆発はどう起こったか』は、福島原子力事故のメカニズムを初めて明らかにした書として、多くの専門家から支持を得ました。石川氏は同書に加え、電気新聞コラム欄「ウエーブ・時評」で、事故直後から現在まで、福島原子力事故を鋭い視点で考証しています。このたび増補改訂版出版を記念し、「ウエーブ・時評」のコラムから、事故原因究明に関する考察を厳選し、順次掲載していきます。