被災後間もない太平洋セメント大船渡工場周辺の様子。辺り一帯は津波で大きなダメージを受けた

  
 震災発生から2日後にもかかわらず、眼下に広がる岩手県沿岸部の街並みには煙が立ち上っていた。
 
 59日後の「完遂」
 
 「特撮やパニック映画そのものが現実になっている」。東北電力北上技術センター送電課担当副長の田村貢(現・東北電力ネットワーク宮古電力センター送電課課長)は、ヘリコプターから見た被害状況をこう述懐する。自衛隊や救急隊のヘリが飛び交い、自身が乗った機体も上空で約1時間、待機を強いられた。この時は約2カ月後に完遂することになる大規模復旧工事など、想像すらできなかった。

 田村が担ったのが、太平洋セメント大船渡工場(大船渡市)に電力供給するための送電線や鉄塔の復旧だ。工事設計の立案や行政機関との調整に奔走した。

 壊滅的な被害で操業休止に陥った同工場には、膨大ながれきの焼却処理と復興工事に必要なセメント供給という至上命令が早くから課せられた。工場に電気を送るためにも復旧は急務だった。

 鉄塔3基の建て替えと変形した鉄塔の部材交換を計画したが、作業環境は過酷を極めた。津波で近くの貯木場から流失した材木が建物被害を広げ、ちりやほこりが現場一帯を包んだ。周辺がサンマ漁の拠点でもあったことから冷凍食品が流れ込み、強烈な腐敗臭が鼻をついた。フェンスには黒焦げになったマグロも刺さっていた。

 「最短でお願いします」。復旧期限に関する関係者の要望はこの一点のみ。余震も続いており、沿岸部に位置する現場は津波の恐怖がつきまとう。「人を(現場に)入れてよいのか」との悩みは頭の中から離れなかった。

 それでも目に飛び込んでくる街の景色が、田村の背中を押した。至る所で山積みとなったがれきを見て、「処理しないうちには何も復興が進まない」と腹をくくった。

 余震に備え、まず待避通路を開設。緊急時は高台に逃げるルールを徹底した。投光器を使った夜間作業が難しいため、作業員は午前7時前から一日の準備に臨んだ。

 当初、半年は必要と覚悟した復旧だが、難局の打開につながる出来事が重なった。未曽有の被害にあっても、地中の鉄塔基礎は無事だった。安全性を確認後、基礎を生かして地上部分を建て直すことにした。鉄塔の設計図がメーカー側で保存されており、各種発注も円滑に進んだ。事業所間の情報共有を通じ、必要な電線も他県にあるとすぐに把握できた。

 鉄塔基礎の健全性確認は、田村が復旧工事で印象深い出来事の一つでもある。設計図が古いためにコンクリートを一部壊してみると、図面通りにつくり込まれていた。「先人の方々もよく図面を残していたなと。うれしかった」

 設備の綿密な施工や設計図書・資機材に関する情報管理――。どれか一つでも欠けていれば、早期復旧はできなかったと田村は話す。もちろん、3月30日から従事した延べ1110人超の作業員なくしても成り立たなかった。

 5月9日午前10時34分、工場に送電を再開。震災発生からわずか59日後のことだった。
 

◇◇◇

 
 変わり果てた街の中で、東北電力石巻技術センター送電課主査の高橋優(現・東北電力ネットワーク送変電建設センター宮城工事所主査)は、住民から停電時と同じ言葉を掛けられた。「電力さん、早く電気をどうにかしてくれ」。ただ、この時ばかりは、いつもと違った意味が込められていると感じた。
 
 その先を見つめ
 
 「『ここでまた生活するので何とかしてくれ』という訴えにも聞こえた」。送電網の復旧に当たった高橋は、その先にある人々の暮らしに思いを巡らせた。

 同センターが管轄する石巻市と北気仙沼のエリアでは、鉄塔15基が倒壊。被災直後は道路がなく、現場にも入れない状態だった。仮復旧を進めようにも、どこが適地かを判断したり、地権者を探したりするのも容易ではなかった。

 それでも一番早い仮復旧は、気仙沼市本吉町の現場で3月23日だった。プッシュ型支援として、資機材と一緒に工事会社の作業員が駆け付けた。即座に仮鉄柱の設置に着手。通常1カ月程度かかる作業も、半分近い日数で済んだ。「日頃の工事会社との信頼関係が生きた」と、高橋は振り返る。

 その後も、各所で同時並行的に進む仮復旧の情報を整理しつつ、持てる施工能力を100%発揮できるようにと、作業量などを考慮して工事会社を差配した。管轄エリアでの仮復旧完了は10月上旬。毎日を目まぐるしく過ごす中、気付けば震災から半年以上がたっていた。

 高橋は当時得た教訓を「時間を無駄にしない一点に尽きる」と話す。今できることを先延ばしすれば、その後の復興の妨げにもなり得る。設備復旧を担う立場だからこそ、与えられた時間を最大限に活用する大切さを今も胸に刻む。(敬称略)
 

◇◇◇

 
 東日本大震災から間もなく10年がたつ。激甚な被害を受けた東北にあって、電力会社やインフラ事業の関係者はあの危機をいかに乗り越え、何を学んだのか。電力会社、電気工事会社などを取材し、それぞれの立場で得た災害への向き合い方、その後に生きる教訓を伝える。

電気新聞2021年3月5日

※「記憶を紡ぐ」は全4回です。続きは電気新聞本紙のバックナンバーをご覧ください。