島根半島の北に位置し、全国で唯一、県庁所在地に立地する原子力発電所である中国電力島根原子力発電所(松江市)。再稼働から1年を迎えようとしている2号機(82万キロワット)では安全・安定運転の継続に向けて同社社員らの奮闘が続く。また、 1号機は廃止措置中、3号機は2030年度までの稼働開始を目指し、新規制基準対応の安全対策工事などを進めている。
今回の特集では、島根県出雲市出身の元プロ野球選手でメジャーリーグでも活躍された和田毅さん(福岡ソフトバンクホークス球団統括本部付アドバイザー)を招き、島根原子力発電所の「今」を体感してもらった。
2024年シーズン限りで22年間のプロ野球選手生活に別れを告げ、マウンドを降りた和田毅さん。引退後は自らを「社会人としてある意味1年目」と象徴的に語り、野球以外のことにも積極的に挑戦や発信を続けている。今回、「入るのは初めて」という島根原子力発電所を視察してもらった。
原子炉模型の前で阿川所長(右)から説明を受ける和田さん
和田さんはまずPR施設の「島根原子力館」を訪れた。館内を案内した阿川一美執行役員・島根原子力発電所長は、原子炉模型の前で原子力発電の仕組みなどを説明。
阿川所長は、「原子炉に制御棒を挿入して核分裂反応を止めても、核分裂生成物の崩壊熱が出続けるため原子炉内を冷やし続けなければならない」と話した。和田さんは「原子炉をコントロールしながら発電するんですね」と納得した様子をみせていた。
電源、注水を多重化
発電所の安全対策についても説明を受けた
安全対策のコーナーでは、東京電力福島第一原子力発電所の事故を教訓に従来の規制基準の見直しが行われ島根原子力発電所でも新たな規制基準に基づき電源や注水機能の多重化、浸水防止などの対策を取っていることを阿川所長が説明。
和田さんが「色々な想定から何重にも対策がなされていて、驚いています」と応じると、阿川所長は「想定を超えることも考えながら対策を立て、安全確保に取り組んでいる」と答えていた。
実機を忠実に再現
3号シミュレータの様子。大型ディスプレーで発電所の運転状況が一目で確認できる
和田さんは原子力館を出てバスに乗車し、2、3号機の中央制御室を再現した「運転シミュレータ棟」に移動した。阿川所長は「シミュレータの操作盤は(2、3号機の実機と)全く一緒で、計器の動きも実機と同じになるように忠実に再現されている」と説明。和田さんは3号機シミュレータ室の内部も見学した。
3号機の操作盤は、ボタンやレバーが並ぶ2号機とは異なり、大型ディスプレーで発電所の運転状況が一目で確認できるほか、机にはタッチパネル式の操作画面が設置されている。この日は、原子炉起動のシミュレーション訓練を実施していて、偶然、和田さんが見学中のタイミングで警報が鳴る場面があった。和田さんは警報ランプが点灯する様子に驚きの表情をみせるとともに、表示される内容の意味などについて熱心に質問していた。
発電所を一望できる高台
続いて和田さんは発電所構内に入り、まず発電所を一望できる高台に移動した。ここで阿川所長が発電所全体の配置などを説明した。社員が執務する事務所と高台に設置されている緊急時対策所(緊対所)をつなぐ階段の位置関係を示し、発電所でトラブルが起きると、所員が階段を上がって緊対所に入っていくという要員の動きなどを紹介した。
防波壁の高さ体感
防波壁は海抜15メートルの高さを誇る
次に和田さんは、防波壁付近へと移動し、海抜約15メートルの防波壁の高さを体感した。阿川所長は、島根原子力発電所で想定する最大津波高さの11.9メートルよりも防波壁を高くしていることや、全長が1.5キロメートルに及ぶことを説明。加えて、津波の際に漂流物が衝突しても壊れない構造になっており、防波壁のブロック間の目地にはゴム製のジョイントを張り、海水の流入を防止するなど万全の対策を施していることも紹介した。
その後和田さんは、ヘルメットを身につけて3号機内部へ移動した。3号機は2006年に本工事に入り、12年に運転開始する計画だったため、東日本大震災が発生した時点では「完成間近」の状況だった。銀色の配管類は新品同様の光沢を保っており、阿川所長は「定期的なメンテナンスを行って維持している」などと説明していた。
和田さんはまずタービン建物の見学者ルームから中の様子を見た。一直線に連なるタービン、発電機のスケールに圧倒されたようで、思わず「ほーっ」と驚きの声を上げていた。次に原子炉建物最上階の見学者ルームへ移り、原子炉の上部や燃料プールを見ながら阿川所長から説明を受けた。
建物と一体構造に
格納容器への入り口
続いて原子炉格納容器(格納容器)の中へ入った。3号機は耐震性向上のため、建物と一体構造になった鉄筋コンクリート製の格納容器を採用している。阿川所長からは、格納容器の入口扉は放射性物質を外部に放出させないように厚みをもたせ、扉の中と外で気圧を調整していることについて説明を受けた。次に原子炉圧力容器(圧力容器)の真下へ移り、制御棒を電動で出し入れすることでウランの核分裂反応を制御する仕組みを見学した。
格納容器上部で、圧力容器に接続する配管類を確認した
3号機のサプレッションチェンバ(圧力抑制室)も肌で感じた。阿川所長は、「現在はドライ環境だが、運転開始の際には水深7メートルまで水を張る」と話し、原子炉の圧力が高まった際に蒸気を逃がして冷却することや原子炉内に水を入れる水源の役割があることも説明した。
圧力容器の下側の様子も見て回った
手を当て厚み確認
水密扉に手を当てて、厚みを体感した
和田さんは水密扉も見学した。阿川所長から「扉の内側に海水が入らないようにする対策で、島根原子力発電所には約100カ所ある」という話を聞くと、「すごいですね」と正直な感想を述べ、水密扉に自らの手を当てて「約25センチメートルはありますよね」などと厚みを体感していた。
緊対所の役割などについて説明を受けた
3号機を出た後は、緊対所の建物に移動。ここで阿川所長はトラブル時に果たす緊対所の役割に触れながら、広島市の本社とテレビ会議で接続することが可能なことや、事故時に150人が1週間作業できるよう水、食料などを備えていることを説明した。
車両を分散配置
緊急車両の一つである大量送水車を間近で感じた
続いて電源供給や注水機能を有した可搬型車両が配備されているエリアに移った。発電所内では車両を分散配備していることや、各種車両の役割などを阿川所長が説明。緊急時の体制においては大型車両や牽引、小型船舶などの免許を保有する要員を含む1班47人(運転員含む)の15班で組織して備えていることを紹介した。訓練にも力を入れ、阿川所長は「いろいろなパターンを想定して繰り返し行っている」と述べ、「(2号機の)運転を継続しながらの取り組みで苦労もあるが、これからも所員の力量向上に努めていきたい」と語っていた。
和田さんは一連の見学を終え、「セキュリティー面を含めて強力で、自分が想像していた以上だった。島根原子力発電所は多くの設備に守られている安全な施設だと知ることができ、安心した」と感想を話していた。
PROFILE
わだ・つよし=1981(昭和56)年2月21日生まれ、島根県出雲市出身。島根県立浜田高校から早稲田大学を経て2002年に自由獲得枠で福岡ダイエーホークス(現福岡ソフトバンクホークス)に入団。プロ入り後、1年目からシーズン14勝を挙げ、パ・リーグ新人王を獲得。11年オフ、海外FA権を行使しボルチモア・オリオールズに入団。14年にシカゴ・カブスへ移籍し、その年の7月にメジャー初登板を果たすとシーズン4勝を挙げる活躍で日米野球のMLB代表に選出され、日本のファンの前で凱旋登板を果たした。カブスでプレーを続けた15年オフには日本球界への復帰を決断。16年から古巣のホークスに復帰し、最多勝、最高勝率のタイトルを獲得するなど活躍を続け、24年シーズンをもって現役生活に幕を下ろした。現役生活を終えた今、ホークスの球団統括本部付アドバイザーとしての業務を担う傍ら、解説業や講演活動、Youtube配信など様々なことに挑戦している。
島根原子力発電所の視察を終えた和田毅さんは阿川一美所長と対談。
自らの現役時代を振り返りながら、日々のメンテナンスの重要性について阿川所長とも意見が一致。地域貢献に対する思いも語ってくれた。
阿川和田さんは小学6年から高校3年まで島根県で過ごされたということですが、当社の発電所のことはご存じでしたか。
和田それが実はあまり意識したことがなく…(笑)。ただ今回の見学で、島根原子力発電所が中国地方にとって大切な電力の供給源だということを知ることができました。より安全な改良型の3号機も早く動いてほしいと思いました。
阿川何より発電所を見ていただけたのが一番です。今後、電力需要が増えていく見通しも示されています。それに応える電源として、私たちは3号機を早く安全に動かせるよう準備を進めていきたいと思います。和田さんは昨年、22年間のプロ野球選手生活にピリオドを打たれました。ここまで長く現役生活を続けてこられた秘訣を教えてください。
和田準備もそうですし、日々のメンテナンス、小さなことにどれだけ気付けるかを意識してやってきました。常に自分の体と対話することが大切で、特に年齢を増してからがそうでした。こうした積み重ねが長くプレーできた秘訣だったと思っています。
「悔いがない」状態に
阿川発電所の設備もメンテナンスが非常に重要ですし、変化にどれだけ人間が気付けるか。機器と対峙(たいじ)して、変わったことはないかを常に考えていかないと安全な運転につながりません。ところで和田さんといえば2012年から4年間メジャーリーグに移籍され、その後もケガや年齢との戦いがありました。数々の挑戦を支えた志とはどのようなものだったのでしょうか。
和田「後から後悔したくない」という思いを強く持っていました。言い換えれば「一生懸命取り組んで、ここで引退するなら悔いはない」という状態をつくるために日々やってきたと思います。引退してから1年くらいになりますが、今は「引退後の生活も悪いものではないな」と思っている自分がいます。
阿川悔いが残らないところまでやりきるというお話を聞いて、やはりとてもすごいことだと思いました。現在、当社では、企業風土を変えていくために「中国電力はもっと変わろうプロジェクト」を展開中です。和田さんは大学1年の時に最高球速をそれまでの120キロ台から、フォーム改造によって一気に140キロ台に上げられました。組織と人で違いはありますが、そのような大きな変化を成功させるためにどのような気持ちで取り組んだのでしょうか。
和田「自分を壊す」くらいの覚悟を持って取り組みました。それまでのフォームでは成長に限界があることを悟ったので、挑戦した結果ケガしたり、投げられなくなったりしたらその時は違うことに挑戦しようと、ある意味割り切って腹をくくりました。スピードアップに成功した経験が、その後自分が大きな決断をする時に役立ったことは確かです。私にとっての一つの分岐点だったと思います。
地域の理解あってこそ
阿川和田さんは地元・島根での「和田毅杯少年少女野球大会」や、投球数分のワクチンを寄付するなど、社会貢献活動にも取り組んでおられますね。
和田野球大会の方は、自分が少年野球をしていた時「こんな大会があったらいいな」という思いがあったので創設しました。大会に参加した子どもがプロ野球選手になったりもしましたし、地元の小学生球児たちにとって「小学校最後の大会」の位置付けにもなっているようですので、これからも続けていきたいです。ワクチン寄付に関しては、球界の先輩たちの寄付活動などを見て、自分も何かやってみたいという思いの中で球団と相談し、JCV(認定NPO法人 世界の子どもにワクチンを日本委員会)さんを紹介していただきました。引退して投球数とはいかなくなりましたが、今後も自分の活動に応じてワクチンの寄付を継続したいと考えています。
阿川原子力発電所は地域の皆さまのご理解があってこそですし、地元の方々と共に発展していきたいとの思いを常に持っています。今年6月の所長就任以来、地元の人たちと接する機会がさらに増えまして、当社への期待の声も多くいただいているところです。安全・安定運転で期待にお応えしていくのは当然ですし、地元の人たちといろいろなことに取り組んでいくことが大事だとあらためて強く感じています。
和田実家のある出雲市も島根原子力発電所から30キロメートル圏にあるので、今日の見学を通じて中国電力さんが安全な発電所の運営のために日々努力されていること知り、とても安心しました。
阿川そういっていただき大変うれしく思うとともに、所員たちの励みにもなります。本日は貴重なお時間をありがとうございました。
[和田さんのメッセージ]
暮らし守るため、誇りを持って
私たちの生活に電気は欠かせません。その電気をつくっている中国電力の皆さんは、私たちの暮らしを守っている方々ともいえます。仕事を進める上で難しいことももちろんあると思いますが、電気を安定的に届けるために働くという誇りを持ってぜひ頑張ってください。
※この企画は、12月15日付別刷りカラー特集「中国電力島根原子力発電所」から構成しています。