東日本大震災の発生から、あす11日で15年を迎える。東京電力福島第一原子力発電所事故からの復旧・復興という難題に多くの人々が今も携わっているが、架空送電や設備工事の現場にも復旧を支えた人々がいる。リスクを承知で当時現場にとどまった人もいれば、現在進行形で廃炉に携わる人も。第一線で復旧に当たったキーパーソンの声を聞いた。

東京電力福島第一原子力発電所の事故当時、復旧作業の拠点となった「Jヴィレッジ」の扉を最初に開けたのは送電部門だった。2011年3月15日、当時の菅直人首相が東京電力本店を訪れ24時間で電源を復旧させるよう指示したことを受けヘリコプターでいち早く現地入り。東京電力、元請け会社、協力会社が一枚岩となり、厳しい状況も「送電魂」で乗り越えた。
Jヴィレッジに最初に乗り込んだのが、工務部送電グループに所属していた明田主税さん(現東京電力パワーグリッド<PG>カイゼン・DX戦略室・カイゼン担当)だ。到着したJヴィレッジはもぬけの殻だった。
◇暗闇の中の覚悟
明田さんはヘリコプターの中から知り合いの工事会社に電話をかけ、現地に集まってもらうよう要請していた。真っ暗なJヴィレッジの中、元請け会社と協力会社から集まった人々を前に明田さんが仕事の内容と状況を説明。「命に関わるかもしれない。怖いと感じたら帰っても構わない」と伝えたが、ほとんど全員が残った。
明田さんは「大規模災害の時は電気屋さん(ラインマン)なくして何もできない」と、職人たちへの感謝を語る。「放射線量がどのような状況か分からない中でも、命を懸けて取り組んでくれた」。自身も「死ぬかもしれない」と思いつつ、「このまま送電できなければ福島だけでなく、日本がどうなるか分からない。なんとか電気を送りたい」という思いで現地にとどまった。
◇調整重ねて完了
それから班体制や作業内容について元請け、協力会社と日夜話し合い、現地で作業を管理する日々が続いた。発電所構内で行われた引き下げ線の接続は、爆発があった場所の目の前で作業を行うことになった。3月16、17日は自衛隊による放水が行われていた。なかなか作業に取りかかれない事態が続き、集ったラインマンたちはしびれを切らしていた。
「このままでは電気屋さんが帰ってしまう」。明田さんは東電本店と協力して18日に放水を一時的に停止してもらい、限られた時間の中で作業を終えた。防護装備を着用しており、声を掛け合いながらの作業はできない。それでも、入念な打ち合わせが奏功して、無事故で作業を終えた。禁煙していた明田さんだが、作業を終えて職人からたばこを勧められると火をつけた。
21日に東京へ戻ってくるまでの間、明田さんはほとんど不眠不休で働いた。それでも不思議と疲れはなかったという。「行ってよかった。大事な時に送電する場面に立ち会えて、けがもなく電気を送れて、ミッションを達成できた」と振り返る。心配させまいと家族に黙っていた福島入りについて、その後打ち明けると「あきれられた」と苦笑した。(次回から電気工事・保安面に掲載します)
電気新聞2026年3月10日





